2021年5月30日日曜日

宗教学概論1 第8回


宗教の社会学的研究

―ヴェーバー、デュルケームから教団論まで―


*第1回からの授業をブログに順次公開しています。「ホーム」から閲覧できますので、試験等の準備に役立ててください。

宗教研究と社会学

 マックス・ミュラーが提唱した、今日における「宗教」の存在意義に関する経験的・実証的研究は、同時代に登場した人文学系の諸学問と連動するかたちで発展していきます。前回の授業では心理学と結びついた研究成果を紹介しました。今回は宗教の社会学的研究について紹介しましょう。

 宗教社会学という言葉は、宗教心理学や宗教人類学よりもはるかに一般的に使われる熟語です。心理学はむしろ宗教とは結び付きにくい言葉ですし、人類学では文化人類学といった熟語のほうが一般的です。

 これはたぶん、社会学的な視座からの宗教研究が、一時期宗教研究の主流になったからでしょう。現在では文明論や文化論と結びついた宗教研究が主流になっていますが、社会学の創始者と呼ばれるような人たちが、こぞって宗教に関心を寄せたことも一因となり、とくに日本では一時期「宗教社会学」という言葉をタイトルに加えた著作が数多く出版され、独自の研究分野が成立しました。

 これらを簡単に整理すると、次のようになります。


 宗教の存在意義の社会学的研究では、宗教と社会の相関関係が問われます。つまり、「なぜ、宗教が存在するのか」という問いに社会の分析から答えようとする研究がなされました。

 大規模な共同体を維持するために複雑な制度やシステムを組み込んだ、高度に発達した社会とともに在ることが、他の動物と人間を区分する最大の特徴のひとつです。このため、社会の起源を解明することによって宗教の起源を探求する研究は、人間の本質を探る問いとも分かちがたく結びつくことになります。

 ➡人間とは/社会とは/宗教とは、という問いの相関関係

 また、宗教を歴史の動態の源泉と見なす研究では、人類の歴史を動かしてきた宗教の役割に焦点が置かれます。この場合に、宗教の役割をネガテイブに見るか、ポジテイブに捉えるかによって見解が分かれます。さらには、宗教団体は社会を構成する一要素であると考えて、社会集団としての「宗教」の特質を明らかにするような研究もなされました。

 この授業では、これらの分野の代表的な業績を紹介しましょう。

宗教の社会的起源の探究

 まず、宗教の社会的起源を探究する研究では、エミール・デュルケーム『宗教的生活の原初形態』(1912)が有名です。デュルケームは、コントによって提唱された社会学を独立の学問分野として成立させた立役者の一人であり、現在に連なる社会学の生みの親といえる人物の一人です。

 デュルケームは、個人の意思を超えて人々の行動を規定する「社会的事実」について、従来とはまったく異なるアプローチから研究しました。たとえば、著名な『自殺論』では、統計資料をもとにヨーロッパ各国における自殺率の比較を行ない、自殺のような極めて個人的な行為にも、実は社会的要因が強く作用していることを証明しました。

 こうした社会的事実の背景にある集合的意識を解明するために、デュルケームが注目したのが宗教でした。主著の一つである『宗教生活の原初形態』において、デュルケームは、宗教とは社会におけるある種の集団表象であり、宗教的象徴が人々を惹きつける力は社会そのものに根ざす力であると同時に、社会そのものが宗教的象徴の凝集力に支えられていることを見事に説明していきます。





 この際、デュルケームは身近なヨーロッパの宗教事情ではなく、オーストラリアの先住民トーテム崇拝を分析の対象にしました。当時、現存するもっとシンプルな部族社会の一つとされていたオーストラリア原住民のトーテミズムを考察の対象とすることによって、デュルケームは人間社会と宗教の最も原初的な関係を分析し、宗教の社会的起源や機能を解明することを目指します。

 そのなかで、最も重視されたのが「聖と俗」の二分法です。トーテミズムは、ある特定の社会集団と特定の動物や植物、あるいは鉱物といった「トーテム」との間に儀礼的で神秘的な関係を取り結ぶ宗教文化です。トーテムはしばしばその部族の「始祖」と考えられ、創世説話と結びつけられます。トーテムはさまざまなタブー(禁忌)をともない、しばしば自分のトーテムを殺したり、採取したり、食べたりしないという禁止事項が順守されます。デュルケームは、ここに人々の行動を強制するある種の「力」が働いているとし、これを「マナ」と呼びます。このマナ/力は、幻想ではなくて人々の行動を規定する現実的な力です。

 たとえば、宗教的な聖地などにはよく結界が張られています。これらは、バリケードのような障害物であることもありますが、ほとんどは細い縄が張られている程度の簡単なものです。誰でもその気になればすぐに乗り越えられますが、実際に平気で前に進むことはできません。

 身近なところで言えば、教会本部の神殿の結界を思い浮かべてください。たとえ未信者の方であっても、あれを簡単に踏み越えられるでしょうか? 物理的には簡単に乗り越えられますが、実際にはそこに見えない壁があります。しかも、その壁は決して単なる心理的な障壁ではありません。デュルケームは、この見えない力の源を「聖/俗」の区分に見いだし、これを宗教の本質と考えます。そして、この聖俗区分の社会的起源を探求しました。

 トーテミズムは、トーテムという物質的な存在に象徴される非人格的な力(マナ)に対する信仰ですが、その力の源泉「社会」であり、トーテムは社会の象徴/「旗」であるとして、社会の結合力の源泉としての宗教の役割を強調し、有名な「宗教は社会の仮想の礼拝である」という言葉を残しました。

 しかし、宗教あるいは神への信仰の源泉を社会と見なすことは、宗教の否定論でも無神論でもないことは銘記すべきでしょう。

 社会的存在であることは人間の本質の一つと言うべきであり、宗教が社会の源泉であり、社会関係が宗教的力の源泉であるとすれば、宗教的であることは人間の本性の一つである、ということになります。このため、一時期デュルケームの宗教論について、宗教を社会に還元して理解しようとする還元論であると批判する人もありましたが、近年の進化心理学的な宗教研究では、社会的存在としての人間と宗教の起源を結びつけるデュルケームの宗教論は、あらためて脚光を浴びています。

➡宗教研究に社会学的方法を適用し、宗教研究に科学的な基礎づけを付与した名著




宗教と歴史の動態

 宗教を歴史の動態と関連づけて分析し、人類史における宗教の役割を論じた研究では、マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905)が最も有名です。これも宗教学科の皆さんに、在学中に必ず手に取ってもらいたい一冊です。

 ヴェーバーは、近代社会における資本主義の成立をもたらした歴史的動因として、プロテスタンティズムの倫理(エートス)を分析します。特にアメリカにおける資本主義経済の目覚ましい発展と社会生活の合理化に強い刺激を受けたヴェーバーは、西洋近代の資本主義を発展させた原動力は、主としてカルヴィニズムの宗教倫理から生じた世俗内禁欲と人々の生活の合理化であると考えました。




 社会科学的な歴史分析の古典中の古典である本書は、発表と同時に大きな反響と論争を引き起こすことになります。とくに、マルクス主義の「宗教は上部構造であって、下部構造である経済に規定される」といった議論や「宗教は民衆のアヘンである」とする唯物史観に反論する材料を提供してくれたことは、神学者を含む宗教研究者に大きな刺激を与えることになりました。

 ある意味では、ジグムント・フロイトの精神分析に基づくネガテイブな宗教論とウイリアム・ジェイムズの宗教経験の心理学的分析の関係に、少し似ているかも知れません。

 歴史を作るのは一人ひとりの人間ですが、その行動にはそれぞれの理由があり、動機があります。ヴェーバーは、人の行動に理由を与えて歴史を生成する「心理的起動力」「倫理=エートス」と呼び、近代資本主義の形成過程における宗教のポジテイブな役割を強調しました。

 しかし、「資本主義の精神」「プロテスタンティズムの倫理(世俗内禁欲)」の相互関係を指摘するヴェーバーの分析は、キリスト教の信仰が近代資本主義をもたらしたというような、単純な影響関係を論じたものではありません。ヴェーバーが指摘しているのは、キリスト教が資本主義の思想的なルーツであるということではなく、特定のプロテスタント信仰者たちに固有の生活様式が、近代資本主義の形成に影響を及ぼしたという社会的・歴史的事実です。キリスト教と近代資本主義という、本来なら交わらない水と油のような存在が、社会的次元で結びついていることを明らかにしたことが、マックス・ヴェーバーの最大の功績だと言えるでしょう。

 ヴェーバーは本書を刊行したあとで、宗教倫理と経済活動の社会的次元における関係の分析を世界史全体に拡大し、「世界宗教の経済倫理」を明らかにするという壮大な構想を持っていましたが、スペイン風邪による肺炎のために世を去り(1920年/56才)、この研究は未完に終わります。

 しかし、ヴェーバーが宗教倫理の分析を行なった日本を含む地域では、とくに自国社会の近代化を推進しようとする近代主義者たちによって、ヴェーバーの分析が広く取り入れられていきました。日本でも丸山真男大塚久雄といった思想史家や社会学者たちに大きな影響を与え、ヴェーバーの歴史的・社会的分析をもとにした日本の社会や文化、日本の近代史の研究が広くなされるようになります。ある時期には、日本の宗教研究者のほとんどが、マックス・ヴェーバー研究者(ヴェーバーリアン)であるというような状況でした。

 かく言う私自身もこの系列の研究者であり、論文や著作もいくつか発表しています。授業ではあまり詳しく語る余裕はありませんが、また何かの機会に紹介することにしましょう。

 ➡宗教研究に関心を持つ人の必読書



社会集団としての「宗教」の研究

 最後の「社会集団としての宗教」の社会学的な研究を代表するのは、ヨワヒム・ワッハ『宗教社会学(Sociology of Religion)』(1940)です。この系列の宗教社会学は、宗教集団をさまざまな社会集団と同様に社会内に存在する集団の一つと見なし、宗教集団/教団に固有の性質や特徴について論じる営みです。

 宗教を人間心理や社会的事実、文化現象などと切り離して、宗教現象の固有性を強調するシカゴ大学の神学者や宗教学者たちを中心にした宗教研究の手法を社会学的な宗教研究に反映させた古典的な名著です。古い日本語訳はありますが、簡単には手に入りません。英語の原書にチャレンジするのには最適な本の一つです。ちなみに、私が初めて英語の原著を読んだのはこの本でした。その後の留学中の苦労を考えると、とても読みやすい本だったと思います。

 確かに宗教集団には宗教集団に固有の組織原理や構造があり、一般企業や地域社会、学校や任意団体などと共通している部分もある一方で、やはり本質的に固有の側面を持っています。

 たとえば、リーダーの資質なども一般的な社会集団における統率者の資質と宗教集団における統率者の資質は微妙に異なります。また、人と人をつなぐ原理も他の社会集団とは違って、雇用関係や地縁・血縁関係などとは異なる原理が相互の関係性を形成します。ただし、宗教集団も形骸化すると血縁や学歴などの一般の社会集団と同じ原理がカリスマの継承に使われ、宗教集団にも一般企業の雇用関係と同じような組織制度が持ち込まれるようになる、といったワッハの宗教集団の分析は、現在でも傾聴すべきところがあります。

➡合致的宗教集団と特殊的宗教集団、支配の諸類型をベースにした宗教的指導者の類型など。

 ワッハが先駆者となった宗教集団論教団論の研究は、とくに神学者や特定の教団関係者を中心にした宗教研究者たちに受け容れられ、多彩な教団調査や宗教集団と社会の関係に関する研究、さらには宗教の社会貢献などについての研究につながっています。こうした社会集団としての宗教の研究は、狭義の宗教社会学と呼ぶべき研究分野です。

※こうした社会学的な視座からの宗教研究は、一時期宗教研究の花形でしたが、現在の宗教研究の主流は、やはり文化研究です。次回は、文化人類学や民俗学と結びついた宗教研究について紹介します。

 理解を深めたい人は、このブログの内容を確認したうえで下記のURLにアクセスし、グーグルフォームの質問に答えてください。

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宗教学概論1 第3回


「宗教」から「宗教学」へ

 前回の授業では、主に西洋の文明圏において、さまざまな「他者」との出会いが中世の絶対的な神の権威を揺るがし、社会や文化、人々の生活様式にまで及ぶ広範な変化をもたらした過程について紹介し、中世から近代への移行期に、「人間」や「人類」といった意識とともに、仏教もキリスト教もイスラームも天理教もみな「宗教」である、といった新たな概念が登場してくる歴史的背景について学びました。

「ルネサンス」「十字軍」といった言葉を覚えていますか。必要な人は、もう一度前回のブログを確認してください。

「他者」との出会いと「宗教」

 「宗教」という新しい概念の登場と深く関わる「他者」との出会いのなかで、まず最初に紹介したのは「十字軍」の侵攻と駐留による東西文明の交流でした。ここで「東西」という場合の「東」は、オリエントと呼ばれたイスラームの支配圏のことです。

 神の意志によって組織されたはずの「十字軍」の遠征は、初期にはかなり成功をおさめますが、次第に西側の形勢が悪くなりました。また、イスラーム圏に十字軍の遠征による支配地域が確立されていくなかで、東西文明の交流が深まり、中世の絶対的な神権秩序は揺らいでいきます。

 そうしたなかで、イスラーム文化圏において広く受容されていた古代ギリシャやローマの思想や知識への回帰がおこります。ルネサンスと呼ばれた古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動は、14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まりました。そして、古典古代の人文主義の復興が謳われるなかで、中世の神中心の文明は、次第に人間中心の文明に移行していくことになります。物事を判断する正しさの基準もまた、聖書の権威から人間の理性の判断へ移っていくことになりました。




 さらには、大航海時代の始まりによって世界地図に記載される世界はさらに拡大し、インドや中国のスパイスや陶器を求めて多くの人々が大海に漕ぎ出す時代になり、仏教儒教などの高度な精神文明の存在が西洋でも広く知られるようになります。

 インドや中国の精神文明は、西洋の人々が知っていたユダヤ教、キリスト教、イスラームなどのセム系一神教―旧約聖書に登場する神を崇拝対象にするために、しばしば「アブラハムの宗教」とも呼ばれる―とは全く異質な精神文明であり、しかも西洋のキリスト教よりも古く長い時間をかけて蓄積された伝統を有していました。こうした「他者」との出会いもまた、キリスト教中心の中世の文明秩序を揺るがす要因の一つになっていきます。

 さらには、「世界」が周航されることによって、肌の色や言語の違い、社会体制や文化習慣の違いにもかかわらず、地球上に存在する人間は同じ人類であって、それぞれの人間の生命と人間としての尊厳は、平等に尊重しなくてはならない、といった意識が芽生えてきます。

 現在では、地球上に存在する様々な民族や人種の違いは、遺伝子情報の面ではほんの些細な差異でしかないことが科学的に解明され、地球上の現生人類はほぼ同じ人間であるということが常識になっています。しかし、こうした意識が世界中に浸透するまでには長い時間がかかりましたし、いま現在も起こっている地域紛争や差別的行為などを見る限り、地球上の人類はみな同じ人間である、という意識が広く世界に浸透するのには、まだ時間がかかるような気がします。

 とはいえ、この時期に生まれた人類という意識は、キリスト教以外の他者の信仰もまた、「宗教」として尊重しなければならない、という意識を促すことになります。他者が信仰する神は、自分たちが信仰する神と同じように、その人たちの人生に価値を与え、生きることに意味を与えている限りにおいては、自分たちの信仰と同じように尊重しなくてはならない。

 自分たちの信じる教えばかりでなく、他者の信仰も「宗教」として尊重するという姿勢は、人種や言語などのさまざまな差異にもかかわらず、地球上に存在する人類はみな同じ人間である、といった意識と分かちがたく結びついています。ある意味では、コインの表裏のような関係であると言えるでしょう。

 新大陸・新世界(科学的世界像)・異文化・古典/古代・個人の信仰、といった「他者」との出会いが「人間」や「宗教」という新しい意識や概念を産出するのです。

神は、誰のために在るのか

 こうした動きはまた、中世の絶対的な神の権威を大きく揺るがすことになりました。虚無の信仰という良く知られている言葉も使われるように、仏教は「神」を立てない宗教として理解され、一神教的な世界観を揺るがす精神伝統と見做されることになります。




 当時の西洋の人々による信仰の合理性を重視した仏教解釈は、かなり偏った理解ではありましたが、キリスト教の非合理性を乗り越えた近代的信仰の可能性を示す思想として多くの知識人に注目されました。また、苦に満たされた世界からの解放を説く仏教思想は、ショーペンハウアーニーチェといった人たちの哲学的思考に、大きな影響を及ぼすことになります(ペシミズム)




 さらには、ルネサンス以来の合理的精神の称揚は、神が支配する世界の秩序を人間の理性の働きによって解明しようとする科学者たちを生みだしました。アイザック・ニュートンのような、いわゆる「理神論」者たちは自然科学の発見の成果の先に、神の実在を証明しようとしました。

 しかし、皮肉なことに彼らの営みは、世界が神の意志とはまったく別に形成されていることを証明することになります。望遠鏡によって観察された月には、神々やウサギは住んでいませんでした。これまで、神によって定められた運命や悪霊の仕業と考えられていた疫病は、顕微鏡を使わないと発見できない微小なウイルスによって引き起こされていることが発見されます。

 宇宙の中心は地球ではなく、地球は太陽の周囲をめぐっている一惑星にすぎないし、それどころか太陽系さえも、銀河の片隅の小さな星の集まりに過ぎないのです。神の意志によって支配される宇宙という「目的論的な自然観」は次第に崩れ去って、宇宙は意思なき物体の延長に過ぎないという「機械論的な自然観」が一般化していきました。こうした新しい自然観もまた、「宗教」という概念と「宗教学」という学問の登場と深く関わるある種の「他者」だと言えるでしょう。

 こうした、新しい思想状況のもとで、ユマニスト/ヒューマニストと呼ばれた人文主義者たちのなかから、キリスト教の信仰の絶対性に固執するのではなく、あらゆる宗教の可能性を認める万教帰一的な思想が生まれてきます。なかでもよく知られているのは「ユニテリアン」ですが、これは次週以降の講義の中で詳しく説明します。

 このほか、神への信仰の絶対性や中世の権威主義的な社会のあり方に意義をとなえるユマニストたちの自由な発想が、16世紀のキリスト教の改革運動/宗教改革を促していくことも重要です。救いの確証はSola fide(信仰のみ)によって義認されるという、プロテスタントと総称される彼らの改革運動を通して、神の権威によって支えられていた中世の文化や社会のシステムは大きく変化していくことになりました。

 こうした文明の転換期において、理性による思考の普遍性を強調し、理性を神に代わる判断基準と見做す啓蒙思想が展開され、17世紀~18世紀の西洋思想の主流になっていきます。ルネ・デカルトが強調したような、人間理性の神の権威に対する優位性は、神中心の世界の秩序を人間中心の世界観に組み替えていく原動力になりました。毎年、ここでデカルトの話をかなり長くするのですが、このブログでは割愛しておきます。

宗教の起源/本質の探究へ

 神の権威よりも理性の判断力を重視する啓蒙的精神のもとで、「宗教」ないしは神への信仰の意味も改めて問い直されることになりました。ここではヒュームカントの二人を紹介しておきます。




 ヒュームは、イギリスの経験哲学を徹底するなかで、全面的な理性への信頼を離れて、むしろ懐疑的な立場をとり、宗教と道徳の起源を理性ではなく、むしろ感性(情念や想像力)に見ようとします。人が神の存在を求めるのは、恐怖心や不安感などの感性的な欲求のためなのであって、自然科学の探究の先に神の創造した世界の秩序を明らかにすることなどできないとして、理神論者たちの営みを一蹴しました。

 さらに、ヒュームの徹底的な懐疑論をもとにして、カント科学的事実と宗教的・道徳的真理を完全に二分し、世界の神秘を解明する自然科学の営みは、神の存在や道徳的な価値の追求とは、まったく異なる営みであると見做します。

 これによって、自然科学が解明する問いへの答えは、人生の問いへの答えとは異質なものであることが明確にされました。自然科学の探究する真理は、道徳や宗教の真理とは一線を画するものなのです。人生の意味は、科学的に解明できる真理ではありません(コペルニクス的転回)

 こうして、神の存在を科学的に解明するのではなく、宗教を人間の営みと見做して、その本質を探究する新たな学問が要請されることになります

➡自然の営みの探究と人間の営みの探究・・・心理学/社会学/文化人類学/宗教学


宗教史の誕生/歴史的起源の探究

 また、仏教もキリスト教もイスラームも天理教も同じ宗教であるすれば、人間の営みとしての宗教の歴史的起源はどこにあるのか、といった問いが生まれます。「宗教史」という研究分野の登場です。

 これはイギリス史や日本史といった特定地域の歴史ではなく、人類史としての「世界史」を描く発想とよく似ています。宗教史という言葉自体が、さまざまな宗教の比較を前提とした言葉になりますので、英語の History of Religion は、日本語に翻訳されるときに、現在でも「宗教学」と訳されることがあります。




 こうした宗教史の営みでは、まずエルンスト・トレルチの名前を憶えておきましょう。彼はキリスト教史を神の意志の実現過程と見做すのではなく、さまざまな時代の地域社会や文化の影響を重視し、キリスト教史を人間の営みとして描いて、教会の権威を相対化しました。


 また、イエス・キリストの生涯を神の子の生涯ではなく、人間・イエスの伝記として描いたエルネスト・ルナン「イエス伝」などがよく知られています。啓蒙的な理性の光のもとでは、もはや神となった人の伝記や神の意志の実現過程としてのキリスト教史を描くことはできないのです。歴史は、人間の営みの集積と見做されることになりました。


 こうした、人間の営みとしての宗教の本質の哲学的探求と神の意志の実現の歴史ではなく、人間の営みとして宗教の歴史を記述する歴史意識が交差する場所において、「宗教学」という新たな学問が登場することになるのです。

 次回は、この新たな学問の創始者ないしは名付け親ともいうべき、フリードリッヒ・マックス・ミュラーの記念碑的な講演から、「宗教学」という学問の成り立ちを紹介します。

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2021年5月25日火曜日

宗教学概論1 第7回


宗教の心理学的研究

―ジェイムズからフロムまで―


*第1回からの授業をブログに順次公開しています。「ホーム」から閲覧できますので、試験等の準備に役立ててください。

 前回は、比較宗教学の実践的な影響について紹介しました。シカゴの万国宗教会議では、ゾロアスター教やジャイナ教のような日本ではあまり知られていない宗教伝統が加えられていますが、これらはマックス・ミュラーの東方聖典集に聖典が収められている宗教です。このあたりにも、マックス・ミュラーの比較宗教学の提唱が、この宗教会議に大きく影響していることを物語っています。

 マックス・ミュラーによって提起された、今日における「宗教」の存在意義に関する経験科学的・実証的研究の必要性は、同時代の多くの人々に共有されて、過去150年ほどの間に、多彩な経験的で実証的な宗教研究の営みが積み重ねられてきました。




 まず、宗教研究と心理学を結びつけた研究では、心理学の研究成果から「人はなぜ宗教を必要とするのか」といった問いがたてられる一方で、人生における宗教の役割が心理学的に見直されるような研究が行われます。

 宗教学とほぼ同時代に成立した新しい学問である社会学と宗教研究を連動させた成果では、人類に固有の複雑な社会の起源を宗教に求める研究に加えて、社会の変動や維持に寄与する宗教の機能に注目する研究が行われます。さらには、社会や心理とともに人間を理解するうえで欠かすことのできない、文化や生活習慣などの研究と宗教研究を結びつける分野では、宗教人類学や宗教民俗学と呼ばれるような研究分野が形成されます。

 マックス・ミュラーが最初に注目した言語の比較研究からは、比較神話学などの営みが生まれ、人類の文明の起源や世界の文明圏の比較研究につながっていきました。また、人間を問いの中心におく20世紀の哲学の動向からは、人間存在の本質と宗教を結びつける 宗教人間学や宗教現象学とよばれる研究分野が登場してきます。

 さらには、比較宗教学は特定の宗教伝統に偏らない人類の宗教史として「世界宗教史」を描くの営みにつながり、こうした近代的な宗教概念が一般化するなかで、諸宗教間の対話や世界各地の宗教文化の研究が進められてきました。近年では、人類史と宗教史を結合する立場から、進化心理学認知科学と連動した新しい宗教研究/人間研究の成果も現れてきています。

 この授業の後半は、これら20世紀の宗教研究の諸分野のなかで、せめて皆さんに名前やタイトルくらいは覚えてもらいたい有名な研究者古典的業績基本的な概念などを紹介していきます。

宗教研究と心理学

 まず、早い時期から注目されたのは、心理学的なアプローチでした。とくに信仰者に固有の心理的傾向や人々の精神生活における宗教の役割が多方面から分析されます。また、「人はなぜ、宗教を必要とするのか」といった問いについて、心理学的な分析から答えを導き出そうとする研究もなされます。

 これには宗教の役割をネガテイブに捉える立場とポジテイブに捉える立場があります。精神分析学のパイオニアであるジグムント・フロイトの研究は、前者の代表です。彼は有名な「幻想の未来」という著作のなかで、神への信仰を未来の人類が克服すべき強迫神経症の一種であると見なします。その一方で、同時代のウィリアム・ジェイムズは、フロイトと同じように深層心理の存在と重要性を認めながら、後で紹介するように宗教的経験の人格形成における極めてポジテイブな側面を強調しました。



 さらに宗教/信仰の人格形成における役割については、とくに神学者や何らかの宗教伝統に関係の深い研究者に広く歓迎されました。もし、宗教/信仰に青年期の人格形成に寄与し、不安定な精神状態を安定化させるような機能があることを経験的・実証的に証明できるのであれば、これからの時代においても宗教は消失するどころか、近代社会においても積極的な役割を果たせることになるでしょう。

 このため、初期における宗教の存在意義の経験的・実証的研究では、心理学と結びついた理論が広く展開され、ある時期宗教研究の主流となりました。

「回心」研究と宗教心理学

 紹介すべき研究はたくさんありますが、ここでは本当に古典的な業績だけを紹介しておきます。ただし、限られた時間で紹介できるのは簡単な概要だけなので、ぜひ図書館へ足を運び、自分で本を手に取ってください。

 まず、心理学的な宗教研究の分野で最初に注目されたのは、「回心(conversion)」という信仰者に特有の心理現象でした。この分野の古典的な業績は、1899年に刊行されたE.D.スターバック(Edwin Diller Starbuck/1866―1947)の『宗教心理学 (The Psychology of Religion)』(1899)です。

 本書は、宗教の心理学的研究の草分けというばかりでなく、質問紙法という実証的な意識調査の手法を宗教研究に導入した点においても、パイオニア的な研究になりました。現在では、さまざまなアンケート調査が多様な意識調査に使われています。しかし、この本は19世紀の終わりに出版されていることを忘れてはならないでしょう。当時としては、画期的な研究手法でした。




 スターバックは、まず①質問紙によって資料を収集し、集めた②資料を分析③分類し、そこから④一般的な傾向を見いだして、⑤意味を解釈する、という手法を使います。これは、完全に実証的な研究でしたが、アンケートの対象者は、自らの関わるメソジスト教会の教会員たちであり、回答数もかなり限られていました。現在のスタンダードからすれば、かなり偏った調査だと見なされるでしょう。

 それでも、彼がこの調査から導き出した、罪の意識→回心→新しい生という古典的モデルは、宗教の価値に疑問を持った当時の多くの人々に、大きなインパクトを与えます。教会に所属することは、少なくともそのメンバーにとっては大きな意味を持っており、教会での体験は彼らの人生を支えているという事実が「実証的」に明らかになったからです

 ➡実証的/証拠がある・・・近代的価値基準にもとづく宗教の評価

 こうした、現代人にとっての信仰の価値と役割をより明確に論じたのが、ウィリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相(The Varieties of Religious Experience)』(1902)です。この本は、以前に紹介したギフォード・レクチャーとして行われた講演の記録を後に出版したものです。




 ジェイムズの名前の日本語表記はいろいろですが、ここでは皆さんがこの本を検索するときに困らないように、岩波文庫版や全集の著者表記に従っておきます。スターバックと同じように、回心を中心にした信仰者に固有の心理現象に注目したジェイムズは、過去の著名なキリスト教の信仰者たちが書き残した手記を分析し、宗教的な「回心(conversion)」を引き起こす原因となる、無意識の領域の重要性に着目します。そして、その無意識に蓄積された経験の領域が、さまざまな宗教経験の根底にあると考えました。

 とくにジェイムズは、一度信仰的な懐疑に陥った人々が改めて信仰に目覚めるきっかけとなった出来事に注目します(2度生まれの信仰)。その多くは、神やすでにこの世を去ったはずの人と出会うといった、とても事実とは思えないような出来事です。しかし、これらの出来事には先行する心理的な蓄積があり、決して突然に経験した妄想や幻想ではなく、宗教経験自体に意味があるとジェイムズは考えます。

 また、神との一体化やずっとあとの時代にイエスと出会うというような突拍子もない出来事は、現実に起こった事実としてはあり得ません。しかし、実際にそれを経験した当事者にとってそれらの出来事は、しばしばその経験の前と後の人生を180度変えるような、大きな意味を持っていることをジェイムズは指摘します。

 たとえ、神との交信やすでにこの世を去ったはずの人との出会いの体験は、現実の出来事であることを証明できなくとも、そのような宗教的経験を経た人々の人生は、それ以前よりも遥かに内面的に豊かになり、他者を赦す寛容の精神に満たされ、人生のすべてのことに満足し、与えられた現状に感謝する新しいあり方に変わるのです。宗教的経験を経た人々に特徴的な、そのような精神的傾向のことをジェイムズは「聖者性」と呼びました。ジェイムズが聖者の性質として列挙している人格の傾向は、まさに理想的な人間のあり方であり、世界中の人々がこのような人間になれば、世界はきっと平和になり、誰もが穏やかに暮らせるようになる、と思わせてくれるものです。もし、宗教的“経験”によってこのような人格の統合と卓越した人格の形成が実現されるのであれば、宗教はこれからの時代の人々にとって必要とされるはずです。

 私自身は大学2年生の夏休みに、自転車で西日本一周の旅に出たときに、この本を旅の友として読破しました。宗教=個人の内面的信仰というジェームズの宗教論の前提には賛否両論ありますが、人はなぜ宗教/信仰を必要とするのか、という問いに見事に答えてくれている本書との出会いは、私自身の人生を変えてくれる「経験」になりました。文庫本ですので、図書館で借りるよりもぜひ皆さんの書棚に加えてもらいたい、古典中の古典というべき本です。

人格形成と宗教

 宗教経験が人格形成に及ぼす影響について、より具体的に研究したのはエリク・エリクソンです。フロイト派の発達心理学者であるエリクソンは、自身の人格の発展段階を図式化したライフサイクル・モデルを宗教改革の指導者であったマルテイン・ルターの生涯にあてはめて、アイデンティの危機を乗り越えて、自己を確立する段階にある思春期・青年期の人格形成において、信仰の果たす役割に注目します。




 とはいえ、エリクソンの関心は人格の形成段階の一般理論であって、そこでの宗教/信仰の役割の分析はそれほど重視されてはいません。ルターという宗教史上の重要人物を扱う著作があるだけで、宗教研究がエリクソンの心理学研究の中核にあるとは言えないでしょう。

心理学的アプローチの可能性

 初期の宗教研究において、宗教的経験が人々の豊かな人格形成に寄与できることを明らかにする、心理学的アプローチは大きな意味を持ちました。しかし、人格の形成や精神の安定は、必ずしも宗教/信仰だけがもたらすものではありません。精神分析学臨床心理学の発達によって心理学がより医学の方へ接近するとともに、宗教の心理学的な研究は宗教研究の主流からは外れていきます。

 また、最初に紹介した「宗教心理学」の著者であるスターバックの著作に明らかなように、これらの心理学的研究はかなり宗教擁護の傾向が強いものであったため、精神分析学や臨床心理学が客観的な学問として成立するようになると、宗教/信仰の価値を無条件に強調するような研究は、恣意的で主観的なアプローチとして敬遠されるようになります。

 しかし、近年になって認知科学の発達と結びついた新しいアプローチが登場していますので、むしろこれから新たな展開が見られるかも知れません。さらには、今回は紹介できなかったユングフロムのような心理学者の研究は、文化研究や社会学と結びついた文化論現代社会・文明論につながっていきます。これらについては、また次の時間に紹介しましょう。

 理解を深めたい人は、このブログの内容を確認したうえで下記のURLにアクセスし、グーグルフォームの質問に答えてください。

https://forms.gle/ZUM9jRQa5PVkrgr88


*前回のグーグルフォームへの質問に答えておきます。

①光が闇ではなく、薄明とともにある、という場合の「光」は「正しい信仰」という意味です。「闇」は誤った信仰や思想のことでしょう(暴力的な思想が、宗教の装いをまとうこともあります)。また、バローズにとって真正の「光」はキリスト教であり、キリスト教ほどではないけれども闇ではない「薄明」として、他の宗教思想を評価しています。キリスト教=太陽の光、他宗教=室内の電灯といった感じでしょうか。

 現在では、このようなキリスト教至上主義の比較宗教の姿勢は批判的に検証され、もっと中立的な研究姿勢が採られるようになっています。

②授業のノートは、自分で工夫してください。学期末試験は、対面で暗記式の試験を予定しています。

2021年5月22日土曜日

宗教学概論1 第5回


マックス・ミュラーとギフォード・レクチャー

―宗教学の黎明―

 前回の講義では、フリードリッヒ・マックス・ミュラー1870年に、ロンドンの王立学問所で行った講演を紹介しました。Science of Religion という水と油をくっつけるような刺激的な表現を使って、経験的で合理的な宗教研究の必要性を訴え、「一つの宗教しか知らない者は、宗教については何も分かっていない」といった効果的なレトリックを使って紹介された比較宗教学の手法は、産業革命の恩恵を受け、科学技術の発展に希望と信頼を寄せていたヴィクトリア朝時代のロンドンの人々に広く受け入れられていきます。

 ミュラーが Introduction to the Science of Religion(邦題:『宗教学概論/序説』)において強調した、「新たな光」のもとで研究された「これまでとまったく異なる」研究―宗教の科学(経験的・実証的な宗教研究)や宗教の比較研究のこと―は、宗教の今日的な存在意義に関する新しい説明体系を創りだすことになります。

 とくにミュラーが提唱した、諸宗教の比較(言語学)による「宗教」の本質の探究という手法は、啓蒙主義の時代を経て他者の信仰や人権に敏感になっていた人々に歓迎されました。人権の尊重信教の自由は、今日の世界はほとんど常識のようになっていますが、150年前はまだ先進的で画期的な考え方でした。

 とはいえ、ミュラーの発想は決して独創的と言えるようなものではなく、むしろタイムリーで時代のトレンドに即したアイデアでした。だからこそ、当時の人々に広く訴えることができたのです。



 さらには、合理性・客観性・実証性「正しさ」の基準となる世界では、宗教の存在意義についても合理的・客観的・実証的に説明する必要がある、というミュラーの提言もまた、すでに近代化された世界に投げ入れられ、進化論に代表されるような近代科学の知見によって聖書の神聖な権威が脅かされる状況にあった、ロンドンの人々の心を大きく動かすことになりました。

 ミュラーは、その後オックスフォード大学において、彼のために設置された「比較文献学(comparative philology)」の教授職を得るとともに、比較宗教学の提唱者として名声を博するようになります。マックス・ミュラーの記念碑的著作は、早い時期に日本語に翻訳されますが、長い間比屋根安定の古い翻訳が定番になっていました。ようやく近年になって新しい翻訳が刊行されました。格段に読みやすくなっていますので、ぜひ手に取ってみてください。





ミュラーとギフォード・レクチャー

 マックス・ミュラーの提唱した「宗教の科学」「比較宗教研究」は、さまざまな方面に大きな影響を及ぼしていきます。その一つが、ミュラーの講演の後に始まったギフォード講義(Gifford Lectures)です。この講義は、イギリス・スコットランド地方の諸大学が合同で主宰している「自然神学」についての連続講座です。130年以上の歴史があり、現在も続いています。

 哲学や文学に関心のあったスコットランドの法律家、アダム・ロード・ギフォード(1820-1887, Adam Lord Gifford)の遺志と莫大な寄付金によって、1885年に始まりました。マックス・ミュラーの記念碑的な講演は1870年ですから、15年後のことになります。

 自然神学の研究を広く発展・流布させるために始まったこの講座では、開催当初から英語圏を中心に、超一流の神学者や哲学者、科学者による講義が行われてきました。科学技術の発達を反映して、近年では歴史学者や科学哲学者なども講座を担当しています。これまで講座を担当した人々の名前を確認すれば、誰でもこの講座の価値が分かります。まさに宗教と科学に関する人類の英知が結集された講座であると言うべきでしょう。

 この授業でも後に紹介する、ウイリアム・ジェームズの『宗教的経験の諸相』という、宗教学の学説史に欠くことのできない重要な業績も、ギフォード講義の内容を出版したものです。



 マックス・ミュラーは、開始早々の1888年から1892年にギフォード講座に招かれ、4期に渡って講義を担当します。大学の教員や一般人を含む受講者は、1,000人を超えていた言われています。この一連の講義のなかで、マックス・ミュラーは宗教の比較研究と経験的・実証的な宗教研究の大まかな道筋を示しました。



 まず、Anthropological Religion と題する講座です。ここでは、後の授業との関連を考慮して「宗教人類学」と訳していますが、実際には「人類の存在から見た宗教」といった内容でした。「人間とは何か」という問いと「宗教とは何か」といった問いが結び付けられることで、なぜ宗教が人類の歴史とともに存在し、必要とされてきたのかが問われます。

 人間は動物の一種であったとしても、言語をベースにした高度な文化や複雑な社会を発展させてきた存在でもあります。そして、人間の文化や社会と宗教は切り離すことはできません。こうして、人間の特徴的な営みの一つである宗教に、新たな目が向けられることになります。

 また、Natural Religion, vol. 1・Natural Religion, vol. 2 (「自然宗教」①・②)と題する講座では、ギフォード講義のもっとも中心的な話題である「自然宗教」についての議論がなされます。

 ここで「自然宗教」というのは、いわゆる自然崇拝のことではありません。ミュラーは、最初の王立学問所の講義の段階から、自然崇拝の迷信的な要素についてはかなり否定的でした。ここでの Natural はむしろ人間の本性のことであり、「人間の本質とは何か」という問いが、宗教を通して考察されます。

 人間の本性と宗教が深く関わっているとすれば、人間であること宗教的であることは切り離すことはできなくなります。通常の講義では、少し余談を交えて長く説明する所なのですが、これは別な機会にしましょう。

 次の Physical Religion は、宗教の現実と訳しました。宗教的な信念はしばしば抽象的であり、神や天国や地獄などの存在は、私自身やその私が住んでいる町、通っている学校や職場のように具体的な存在ではありません。

 しかし、同じ信仰を共有する人たちの組織(教団)や儀式などは具体的な行為です。礼拝の対象となる存在も多くの場合に実在します。こうした具体的な側面の調査や研究は、当然社会学文化人類学などの成果と連動して研究することが可能です。

 さらには、Theosophy or Psychological Religion(神智学と宗教心理学)という興味深い講義も行っています。ブラヴァツキーオルコットなどの人々によって提唱され、現在のニューエイジやオカルト思想などに影響を及ぼした神智学は、130年前はかなり真面目な学問として市民権を得ていました。

 なぜなら、いわゆる人間の「精神(こころ)」についての研究は、まだそれほど進んでいなかったからです。ジグムント・フロイト「精神分析学入門」を刊行するのは、次の20世紀になってからのことです。ただ、人間心理の分析によって、なぜ私たちに宗教が必要なのか、と問いかける姿勢は重要です。 


マックス・ミュラーと「宗教学」の展開

 それでは、マックス・ミュラーの最初の講演やギフォード講義の内容を踏まえて、ミュラーが構想していた「宗教学」について、その後の展開と関連づけながら簡単に整理してみましょう。



 まず、人間学としての宗教学は、社会学・人類学との接点へつながります。神智学と心理学は、宗教の今日的価値の経験的・実証的説明に新たな方向性を与えます。比較言語学を出発点とする、神話学や文化人類学として発展する宗教研究は、今日では宗教研究の主流を形成しています。

 自然神学と自然宗教の概念に影響された、人間の知的営みと信仰の価値についての言及は、新しい哲学の動向と結びつきながら、「宗教学」という固有の学問の成立につながっていきました。また、進化論を前提にした全人類の宗教史と諸宗教の比較研究の展望は、諸宗教の具体的な対話への道を開くことになりました。

 こうして、マックス・ミュラーが構想した、宗教の比較研究と経験的・実証的な宗教研究は、同時期に登場してくる心理学や社会学、民俗学や人類学、といった新しい学問や人間を探求の中心に据えた近代哲学の新たな動向などと連動して、その後150年近くに亘って多彩な展開をしていくことになります。

 この際に前提とされているのは、マックス・ミュラーによって提起された、以下のような学問の前提です。

A.今日における「宗教」の存在意義に関する、経験的で実証的な研究と説明の体系。

「宗教の科学/宗教学とは、どのような学問なのか」という問いに対するこの答えは、その後の宗教学の営み全体に共有されていく、基本的な姿勢になります。

 今日では、マックス・ミュラーが当時の比較文献学言語学の知見を駆使して、宗教の比較研究や経験的・実証的研究として提起した理論や研究事例の多くは、もはや経験的・実証的研究としての価値を認められなくなりました。

 研究の進展によって古い理論が忘れ去られていくことは、宗教学も経験科学の一つである以上は仕方のないことです。しかし、150年前に提起された「宗教の今日的価値の経験科学的研究という視座」の重要性は、今日になっても変わりません。なぜなら、今日における「宗教」の存在意義に関する、経験的で実証的な研究と説明の体系は、その当時以上に現在の私たちに必要とされているからです。

 とくに宗教学科で学ぶ人たちは、世界の優れた知性たち今日における宗教の存在意義について深く考えてきた思索の蓄積を学ぶことは重要でしょう。これから学んでいく宗教学の多彩な学説をもとに、自分自身で「なぜ、現在の私たちにとって宗教は必要なのか」という問いに、自分なりの答えを見いだしてください。

*言語学を中核とした「宗教の科学」の確立という、ミューラーのプロジェクト自体は瓦解したが、「宗教の今日的価値の経験科学的な研究」というミュラーが開いた研究の道は、現在の多様な宗教研究に踏襲されている。

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宗教学概論1 第4回


マックス・ミュラーと「宗教学」


「 他者」との出会いと「宗教学」 

 前回、前々回の授業では、中世ヨーロッパの社会が、自らの内側にも外側にも存在したさまざまな「他者」との出会いを通じて、自らのあり方を再確認し、新たな社会や文化のあり方を模索するなかで、神中心の中世の社会秩序は次第に崩れて、人間中心の新たな社会秩序が成立していく過程を紹介しました。

 ここで登場してくる「人類/人間」という概念は、いわゆる「宗教」という概念コインの表裏の関係にあります。肌の色や言語の違い、生活習慣や文化の違いを超えて、地球上に暮らす人々はみな同じ人間であり、すべての人の生命と尊厳は、平等に尊重されなくてはならない、という考え方とキリスト教も仏教もイスラームも天理教もみな「宗教」であり、それぞれの教えを信じる人々が大切にしている価値基準は、等しく尊重されなくてはならない、という考え方は切り離すことはできません。




 ですから、基本的人権のなかでも最も尊重すべきものの一つに「信教の自由」が掲げられているのです。

 こうした人間の自由と尊厳啓蒙する思想運動が広がるなかで、「近代化」と総称される社会制度、文化、産業構造や生活様式などの根本的な変化が世界的規模で推進されると、人が神や何らかの超越的な価値の存在を信じること、つまり「信仰」が社会のなかで果たす役割やその意味が変わってきます。

 前回紹介した、カント哲学の「コペルニクス的転回」では、「認識できるもの」「認識できないもの」が明確に区分けされ、「認識できないもの」の代表である「神」の存在を否定するのではなく、これは人間が「認識できる」自然の現象や法則とはまったく異質な対象とされることになりました。



 自然科学の発達の先に解明される神秘は、「神」ではなく解明されるべき自然現象なのです。だからカント以降の近代的な意識にとって、超自然現象超常現象という言葉は、人知を超えた神秘ではなく、まだ解明されていない自然現象という意味になりました。

 本来、人間の認識能力によって解明できる事柄を妄信することは、迷信として排除されることになります。蜃気楼は自然現象であって神の奇跡ではありませんし、火の玉はもしあったとしても、それは自然現象なのであって、もはや人の霊魂ではないのです。

 とはいえ、こうした啓蒙的意識のもとでも、「神/真理」の存在自体が否定されたわけではありません。カントは、迷信と本当の信仰というべきものを区別しただけで、人間の行為としての信仰や道徳の価値については、むしろ積極的に評価していました。

 啓蒙主義者たちは無神論者ではなく、人々の目を真実から逸らさせる迷信を排除し、正しい科学的・社会的価値を実現しようとした人たちです。

 だから、近代化によって疫病の原因は悪霊ではなくウイルスであることが解明され、適切な医療行為によって多くの命が救われることになります。政治的支配者の権威は、神の意志や人の血筋によって決定されるものではないことが明らかにされ、権威主義的な王政が各地で解体します。そして、より有能で社会全体に利益をもたらせる人物が社会の代表として選出され、さらにその支配体制を人民が監視できる、民主主義社会主義のような新しい社会のシステムがつくられました。

 啓蒙主義者たちの理想とした世界の実現は、まだまだ先のことになりそう―社会主義と民主主義の対立のように―ですが、少なくとも彼らの提唱した価値判断の基準は、現代の世界の主流となっていることは間違いないでしょう。

 こうしたなかで「宗教」は、人間の営みとして再評価され、神や超越的な真理の存在意義は、すでに否定された迷信的な役割とは、異なる次元に求められることになるのです。

 たとえば、キリスト教の歴史は神の意志の実現の歴史ではなく人間の営みとして再考され、それぞれの時代や地域社会におけるキリスト教会の役割が問い直されることになりました。キリストを神の子ではなく、人間として描くエルネスト・ルナン「イエス伝」などは、熱心な信仰者にとっては行き過ぎた行為のように見えたでしょうが、これも信仰の価値を人間の行為のレベルで再確認する営みでした。



 こうした、新しい「宗教」概念の登場と啓蒙主義のもたらした人間中心の価値観が交差する場所で、新しい学問である「宗教学」が提唱されることになります。だから、かつて著名な宗教研究者であったグスタフ・メンシングは、主著の一つである「宗教とは何か」(邦題)のなかで、宗教学は「啓蒙の子」であると述べたのです。


 宗教を人間の営みと見做すこの新しい学問の目指したのは、一つには①宗教の歴史的起源の探求、であり、もう一方では②人間の営みとしての宗教の本質の探究、でした。

 そして、19世紀の終わりから現在まで、150年近く積み重ねられてきた営みの出発点となったのが、宗教学という学問の提唱者とされるフリードリッヒ・マックス・ミュラーの業績です。日本の宗教学説史は、日本の初期の宗教学者がマックス・ミュラーの影響を直接受けていることもあって、マックス・ミュラーの宗教学の提唱からはじまることが多いのですが、欧米の学説史では、やはり十字軍からルネサンス大航海時代から啓蒙主義へといった中世世界からの脱却を出発点とすることが少なくありません。

 代表的な著作では、Eric Sharp, Comparative Religion, A History.(1975)があります。残念ながら、この本の翻訳はありませんので、興味のある人は原著にチャレンジしてみてください。この授業の宗教学説史は、私自身がアメリカで長く学んだこともあって、かなりアメリカ流になっています。


マックス・ミュラーの比較宗教学

 それでは、「宗教学」の創始者・提唱者とされるフリードリッヒ・マックス・ミュラーは、どのような人物だったのでしょうか。

 フリードリッヒ・マックス・ミュラー(Friedrich Max Müller)(1823~1900)は、ドイツ系のインド文献学者比較言語・比較宗教研究者として知られています。フランスのソルボンヌ大学において、ウジェーヌ・ビュルヌフのもとでサンスクリットを学び、後にオックスフォード大学教授となりました。



 彼の編纂した『東方聖書(東方聖典叢書)』全50巻の刊行(1879~1894)は、アジアの諸宗教の聖典の英語翻訳を集成した先駆的な業績であり、ヒンドゥー教、仏教、道教、儒教、ゾロアスター教、ジャイナ教、イスラム教などの主要な聖典を収録しています。

 これによって、欧米の人々にはほとんど知られていなかった東洋の精神文化が広く世界に知られることになりました。しかし、オックスフォードで教鞭を取るようになったミュラーは、専門であるサンスクリット語の教授職を得ることに失敗します。意気消沈したミュラーは、インド思想を研究することの意義をイギリス社会に宣伝する必要性を感じます。ここで強調されたのが、諸宗教の比較研究でした。キリスト教をより深く理解するためには、他の優れた宗教伝統との比較が必要だと主張したのです。



 ミュラーが「宗教学」という言葉を使った有名な講演では、ゲーテ「一つの言語しか知らない者は、言語について何も知らないのである」という言葉をもじって、「一つの宗教しか知らない者は、宗教について何も知らないのである」と語って、比較宗教研究の重要性インドや東洋の精神文化を学ぶことの価値を強調しました。さらに、ビクトリア朝時代のロンドン(電灯と地下鉄)では、人間中心主義科学万能主義にもとづく否定的な無神論が台頭していました。そこに、ダ―ウインの進化論が拍車をかけます。

 宗教は無益な迷信ではなく、これからの時代の人々にとっても価値があるとするならば、その価値はもはや権威主義的な主張ではなく、啓蒙的な理性のフィルターを通しても納得できるような、客観的で合理的な手法によって提示されなくてはならないのです。

 このことをミュラーは、Science of Religion という独自の表現で訴えました。科学の発達によって宗教は駆逐される、と主張する人々が少なくない時代に、敢えて科学と宗教という、水と油のように考えられていた概念を結びつける議論をしたことが、多くの人々の関心を呼ぶことになります。

 1870年(「おふでさき」のご執筆/1869年)に、ロンドンの王立学問所で行われた歴史的講演において、マックス・ミュラーは新しい宗教研究の必要性を訴えます。このなかで、ミュラーは自分の新しい企てについて、次のような説明をしています。

 ある研究者がある教説を新たな光のもとで研究し、それがこれまで信じられてきたのとはまったく異なるものであると解説するとき、宗教的世界のうちにいる知識人たちは、古い単純な解決法には、もはや満足しなくなる。

 ここで「新たな光」とされているのは、まさに「啓蒙の精神」でしょう。人間の理性にもとづく客観的で合理的な判断のもとで主張される提言でなくては、もはやビクトリア朝時代のロンドンの人々の心には届かないのです。

 電灯がついて地下鉄が走る街の人々に、古い迷信は通用しません。もし、今日においても「何かを信じて生きること」に価値があるとすれば、その価値は、客観的・合理的な論実証的な根拠にもとづいて主張されなくてはならない。

「信じてみればわかる」といった前時代の権威的な姿勢は、もう通じないのです。そこでマックス・ミュラーは、「宗教学/宗教の科学」という新しい経験的で実証的な学問を提唱しました。

 中世の暗黒時代のキリスト教や迷信は、宗教の本当の姿ではありません。戦争や偏見、差別の温床になったものは宗教の本質ではなく、むしろ宗教的な権威の誤用によるものでした。宗教の本質は争いや偏見を生むことではなく、むしろ平和や人々の共存を促進することです。

 近代の人々がしばしば誤解している宗教のイメージは、主に中世の暗黒時代に形成されたものであり、古いキリスト教の外套を脱ぎ捨てて、宗教の本当の姿を知るためには、キリスト教ばかりでなく、キリスト教以外の宗教伝統にも目を向けて諸宗教を比較検討し、どの宗教にも共通する宗教の本質を明らかにする必要がある、とミュラーは主張しました。

 そして、その比較検討の方法は、ミュラーの言葉を用いれば―科学/Science ―と呼べるような、経験的で実証的な学問でなくてはならないのです。なぜなら、現代の人々に「宗教」が存在することの価値と意義を納得してもらうためには、その主張は、啓蒙の光に照らしても正しさを主張できるような提言、つまり経験的・実証的に主張できる提言でなくてはならないからです。

 Introduction to the Science of Religion と題して 1873年に刊行されたこの講演の内容は、現在ではほとんど顧みる人はいなくなりました。この講演でミュラーが「科学的」な研究方法、すなわち経験的・実証的な学問として提起した比較宗教研究―アーリア系とセム系の宗教の分類などを除いて―現在ではあまり経験的でも実証的でもないと考えられています。

 しかし、これからの時代の人々に宗教の存在意義を納得してもらうためには、宗教の価値について経験的・実証的に説明しなければならない、というマックス・ミュラーの問題提起は、その後150年近い時間のなかで、世界中の多くの宗教研究者が積み重ねてきた宗教学という学問の営みに共有されています。

 神の存在を科学的に証明することはできませんが、神や超越的な価値の存在を信じて生きることの意味については、経験的・実証的に検証することができます。なぜなら、何かを信じて生きること/信仰は、人間の営みだからです。

 このため、宗教学は同時期に登場する人間の営みに関する新しい学問、すなわち心理学社会学文化人類学20世紀の新しい哲学の動向などともに発展していくことになりました。これらに共通するのは、次のような姿勢だと言えるでしょう。

「今日における「宗教」の存在意義に関する、経験的で実証的な研究と説明の体系」

 これらの詳しい内容については、これからこの講義のなかで詳しく紹介していきます。さまざまな人物の名前や本のタイトル、特殊な概念などが沢山でてきますので、しっかり覚えるようにしてください。

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宗教学概論1 第2回

 

「他者」の発見と「宗教」概念の成立


 前回の講義では、この授業科目の全般的な概要を説明し、西洋近代の文明圏において成立した「宗教」という概念とそれに伴って成立した「宗教学」という学問を学ぶことの意義について説明しました。最初の時間は大まかな授業の概略でしたが、今回の講義からは具体的な内容を学んで行きます。まず基本的な出来事や人物の名前、概念や用語などを覚えるようにしてください。

 今回の授業でまず覚えてもらいたいのは、「十字軍」「ルネサンス」といった歴史用語と「宗教」という概念の関連性についてです。

 中世のヨーロッパは、基本的にキリスト教がすべての基準となる社会でした。神の権威のもとで王政が維持され、倫理の基準や美の基準、世界観や死生観が形づくられていました。何か新しい発見や考え方が生まれても、その正しさを決定するのは常に神の権威でした。こうしたなかでは、キリスト教以外にも正しさの基準となる尺度は存在しえません。

 つまり、キリスト教も仏教も天理教もみな「宗教」であり、その教えを信じる人々にとってはそれぞれが正しさの基準となる、といった考え方はあり得なかった、ということです。現在の感覚でいう「宗教」という言葉の意味や概念が形成される地盤は、中世のヨーロッパには存在しませんでした。こうした中世のキリスト教世界の安定を揺るがせたのは、さまざまな「他者」との出会いでした。

 とくに大きな影響を及ぼしたのは、7世紀の初頭(610年頃)にムハンマド/マホメットが神の啓示を受けることよって広まったイスラームの勢力との対峙でした。イスラームは、キリスト教の「他者」というよりは、むしろ兄弟や従妹のような存在と考えるべきでしょう。教えや生活規範などは大きく異なりますが、礼拝対象となる神は共通しています。

 それでも、現在の中東地域からアフリカの北部、イベリア半島までイスラームの影響圏が広まると、キリスト教にとって大きな脅威になりました。とくに、聖地とされるエルサレムを奪還するために、十字軍と呼ばれる遠征が幾度もくり返されます。



 しかし、西洋のキリスト教文明圏の影響力が拡大することはありませんでした。むしろ、イスラームの文化圏に広く受容されていた古代ギリシャやローマの文明の価値に、それらをすでに失っていた西ヨーロッパのキリスト教文明圏の人々は気づくことになります。当時、現在の西洋文明の源となる知的源泉は西欧のキリスト教圏ではなく、むしろアラブのイスラーム圏に残されていました。

 かつて、イランの大学へ留学していた研究者に伺ったことがあります。それによると、イスラーム圏では哲学の科目に西洋哲学史イスラーム哲学史の区分があり、西洋哲学はソクラテスからはじまり、イスラーム哲学はアリストテレスを始原とし、より科学技術や実践的な学問との連続性が強調されるそうです。

 あまり詳しい説明をする紙幅はありませんが、十字軍による東西文明の交流が、西ヨーロッパの世界では忘れられていた、キリスト教以前の古代ギリシャやローマの文明の再発見につながりました。そして「ルネサンス(文芸復興)」と呼ばれる、古典古代の文化の復興運動が起こります。ペトラルカのような人文主義者(ユマニスト)たちは、神の権威を絶対化する中世の価値基準から脱却し、古典古代の人間中心的な価値観をもとにあらゆる判断の基準を見直そうとしました➡神中心の文明から人間中心の文明へ・・・

 神の権威ではなく、人間の理性に信頼を置く思想の広がりは、エラスムスのような人文主義者/ユマニストたちの批判的な信仰論を経て、プロテスタントの宗教改革へとつながっていきます・・・「エラスムスが生んだ卵をルターがかえした」

 さらには、レコンキスタ(失地回復)のスローガンのもとで進められた十字軍の進軍によってイベリア半島が奪還され、西欧にとってもう一つの世界への入り口が開かれます。さらには、ローマの権威からある程度独立した王政国家が各地に生まれてきました。




 とくに、いち早く地中海から飛び出したスペインポルトガルの人々は、アジアとの航路を開き、さらには新大陸を発見することになります。大航海時代のはじまりです。



 15世紀~17世紀の時期に、外洋に開かれたイベリア半島のスペインやポルトガルを中心に、ヨーロッパとアジアの交流が深まります。

 アフリカの南端にある喜望峰を経て、アジアに向かう航路が開かれると、多くの人々が一獲千金を夢見て大海原に乗り出しました。本来なら、地中海と紅海をつなぐ現在のスエズ運河のあたりから出立するのが圧倒的な近道ですが、ここはイスラーム勢力の中心地でした。そこでアフリカを大きく迂回する航路が選択されていました。

 航海はとても長く危険な旅でしたが、それでも多くの人々が海に出たのは、アジアとの交易品、とくにインドのスパイス中国の陶器にヨーロッパの人々が魅了されたからです。危険な航海を乗り越えれば、莫大な富を得ることができました。

 イスラームとの交流もそうですが、この時期は西洋よりもオリエントと呼ばれた東洋の文明のほうが、さまざまな面で遥かに優れていました。この講義との関連でいえば、インドの仏教を中心とした多様な精神文化や中国の儒教を中心とした思想伝統のように、ユダヤ教・キリスト教・イスラームといった同一の神を信奉するセム系の宗教伝統とは全く異なる精神文明でありながら、キリスト教やイスラーム以上に長い歴史と深い哲学的思索を重ねてきた思想伝統と出会ったことは、キリスト教中心の世界観や人間観を揺るがし、大きな見直しを迫ることになります。

 さらには、喜望峰を回る長い航路を避けるために、地球は丸いという前提で船を出したコロンブスによって新大陸が発見されると、世界地図は一変することになりました。これまで、西洋と東洋しかなかった世界に新しい世界が書き入れられ、新世界に多くの人々が押し寄せることになります。

 南北アメリカや南半球の大陸や島々が発見され、マゼランが世界を一周すると、地球は一つの世界であり、そこに住む人間は肌の色や言語、生活様式は異なっていても、同じ地球に暮らす「人間」である、という意識が生まれてきます。




 しかし、その一方で新しい文明と出会った人々は一方的に弱者を支配し搾取する、といったことも起きました。スペインやポルトガルによる、南米大陸での略奪はよく知られています。新大陸を発見したコロンブス自身も、その残酷な統治や現地人のへの略奪行為によって、しばしば断罪されています。

 こうした新大陸での暴挙は、ルネサンス以降の人文主義(ユマニスム/ヒューマニズム)が広がる西洋文明のもとで深く反省されることになります。目の色や肌の色は違っても、新世界の他者は動物のように扱ってよい存在ではなく、同じ人間であり、宗教的な儀式を含む彼らの文化や生活習慣は、自分たちの宗教伝統と同じように尊重すべき価値がある、と主張する人たちも現れてきます。

 しかし、その後アフリカから大量の奴隷が北米に連行されるなど、この頃の「他者」との出会いとともに生まれた「人間/人類」という概念とすべての人間が平等に保持する「人権」という意識が世界に浸透するまでには、500年以上の時間が必要でした。そして、現在に至っても世界人権宣言の精神が、本当に世界の隅々にまで浸透しているとは言い難いのが現状です。

 ただ、ここで確認しておきたいのは、こうした「人間/人権」の概念が、いわゆる「宗教」という概念の登場と分かちがたく結びついていることです。

 肌の色や言語、生活習慣や価値観の差異に関わらず、西洋に暮らす人も東洋に暮らす人も、新世界に暮らす人もみな同じ「人間」であるという意識は、じつはキリスト教も仏教もイスラームも天理教も、みな同じ「宗教」であり、ぞれぞれの宗教伝統はそれを信奉する人たちにとって、どんな場合にも尊重すべき価値がある、という意識と深く重なっています。

 十字軍の悲劇や新大陸での暴挙といった歴史の悲劇の多くは、宗教的な偏見や対立が引き金になって生じていることを忘れてはならないでしょう。「宗教」という概念の登場は、「人間」という意識の登場と分かちがたく結びついているのです。そしてのこの「人間/人権」意識は、ルネサンス以降の大きな社会変革のなかで、いわゆる近代文明の中核に位置づけられることになります。しばしば、神中心の文明から人間中心の文明へ、と言われる変化の過程のなかで、「宗教」という概念が形成されてくるのです。

 このあたりを簡単にまとめると・・・次のようになります。




 次回は、こうした「宗教」という意識を背景として、「宗教学」という極めて近代的な学問が形成される過程について学びます。

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2021年5月16日日曜日

宗教学概論1 第6回


比較宗教学と宗教間対話 

―「宗教学」とヒューマニズム―


 前回の授業では、マックス・ミュラーが提唱した「今日における宗教の存在意義の経験的・実証的研究」は、ヴィクトリア朝時代のイギリスの人々に広く受け入れられたことを紹介しました。ミュラーは、この経験的・実証的な研究を当初は Science of Religion(宗教の科学)と呼んでいましたが、自然科学と切り離されるかたちで同時期に登場してきた社会学や心理学、文化人類学や言語学などの人間の営みに関する新しい学問分野と宗教学を連動させていくなかで、研究の方向性を変えていきます。

 


 日本語ではこれらの分野は人文科学と呼ばれますが、英語では humanities なので science は含みません。アメリカの大学では、通常 Humanities とNatural science は明確に区別されています。日本でも高校で「理系」と「文系」に分かれます。人文科学は、文系のイメージでとらえると分かりやすいでしょう。ただし、これらは20世紀の新しい学問であることを知っておきましょう。というより、ウィリアム・ヒューウェルが Scientist(科学者)という言葉を歴史上初めて使用するのは、1833年のことですから、このころから宗教的な知識と自然科学的な知識人文学的な知識が分かれはじめて、20世紀の知の体系が形成されてきたと言っても良いかも知れません。マックス・ミュラーは、その狭間の時代に生きた人でした。このため、最初は Science of Religion という言葉を用いながら、少しずつ新しい人文科学に接近していきます。

 前回の講義で紹介したギフォード・レクチャーでは、19世紀末の学問の動向を踏まえて、人文科学と結びつけた宗教学の可能性について語っていました。簡単にまとめると次ようになるでしょう。


 「宗教の科学」という刺激的な言葉ではじまった宗教学は、このあとは心理学や社会学、文化人類学などの新しい人文科学の動向と連動して広く展開していくことになりました。この講義の後半は、宗教心理学や宗教社会学といった、これらの諸分野における古典的な業績を紹介していきます。しかし、その前に少し寄り道になりますが、マックス・ミュラーの宗教学と比較宗教研究の提唱がもたらした「諸宗教間の対話」について紹介しましょう。

 宗教学の諸分野のその後の展開以上に、諸宗教間の対話の可能性を開いたことは、比較宗教学の重要な功績の一つでした。

 マックス・ミュラーの諸宗教の比較研究と宗教の本質の探究という、新しい学問の提唱を受けて開催されたイベントのなかで、最も有名なものは「万国宗教会議(the World’s Parliament of Religions)」です。

 米国シカゴ市で開催されたコロンビア万国博覧会(シカゴ万博)に合わせて、万国宗教会議(the World’s Parliament of Religions)が開催されたのは1893年のことです。白亜の殿堂を並べた「ホワイトシティ」を中心とする大博覧会は、約5カ月の期間中に2700万人を超える入場者を集めます。世界の歴史と文化の祭典であるこの博覧会には、人類の進化の過程を「展示」する極めて多彩な民族や文化の痕跡が集積されました。日本からも伝統的な日本建築と日本庭園が出品され、この日本庭園は現在もシカゴ大学のすぐ近くに残されています。

 チャールズ・ダーウィンが『種の起源』と並ぶ主著の一つである『人間の由来』のなかで表明した、「人類の進化」の過程を見事に陳列するこの博覧会に連動して、博覧会の期間中に多くの国際会議が開催されました。さまざまな領域の専門家が世界から集まって、当時の国際問題やこれからの世界のあり方などが議論されるなかで、人類の歴史上はじめて、世界の諸宗教の代表者を一堂に会する「万国宗教会議(the World’s Parliament of Religions)」が開催されます。

 この宗教会議が開催されていた、9月11日から27日までの17日間には、延べ15万人の聴衆が集まりました。当時の新聞報道などの記録を見ても、この会議の注目度が相当に高かったことが分かります。現在の感覚では、このような国際会議は珍しくないかも知れませんが、この会議が開催された130年ほど前の世界では、まったく画期的な出来事でした。


 この宗教会議を開催するために組織された中央委員会の座長は、シカゴの第一長老派教会の主座であり、シカゴ大学教授でもあったジョン・ヘンリー・バローズ(一八四七~一九〇二)でした。アメリカのプロテスタント教会の代表者の呼びかけによって、世界の十大宗教 [キリスト教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、ゾロアスター教、イスラム教、仏教、神道、儒教、道教]の代表が集まりました(メッセージだけの参加もあり、宗教伝統によって濃淡あり)。日本からも仏教の各宗派や神道の代表者が参加しました。この授業の最後のほうで紹介しますが、この会議がきっかけになって日本でも比較宗教学への関心が高まることになります。

 会期中には、世界の各地から多彩な宗教伝統の指導者が参集し、アメリカのメデイアからも高い関心が寄せられました。世界中から招聘された諸宗教の代表者たちは英語で講演して議論を重ねます。なかでも、ラーマクリシュナ・ミッションの創設者であるヴィヴェーカーナンダやスリランカの仏教復興運動の指導者、アナガーリカ・ダルマパーラの講演などは極めて高く評価され、インド思想を中心にした東洋思想ブームを生みだすことになりました。マックス・ミュラーの影響を受けて開催された、諸宗教の比較と対話によって宗教の本質を探究するこの宗教大会は、大きな成功をおさめます。マックス・ミュラー本人は、高齢の身でもあることから大会に参加できませんでしたが、大会に向けてメッセージを託しています。


*詳細を学びたい人は、上記の本など
が参考になります

 万国宗教会議のオープニングでは、「世界十大宗教」を表現するために、コロンビアの鐘が一〇回鳴らされました。世界の「十大宗教」のカテゴリーは一定ではありませんが、この会議には、少なくとも形式上はキリスト教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、ゾロアスター教、イスラム教、仏教、神道、儒教、道教の代表が参加しています。同時に開催された多彩な宗教大会にも、世界中の諸宗教から多数の代表者が参加しました。つまり、「十大」宗教に限定せずに、もっとマイナーな宗教伝統の代表者も大会に参加したのです。たとえば、仏教の場合はスリランカの上座仏教の代表者ばかりでなく、日本の仏教の代表者も参加しましたし、日本仏教は各宗派の代表がそれぞれの立場で参加して発表しました。

 この会議をきっかけにして、日本の諸宗派の関係者がアジア各地の仏教とは違う「日本仏教」という意識を共有したことには大きな意味がありましたし、キリスト教や他宗教を邪教視する意識が変わったことも大きな意味を持っていました。彼らは日本に帰国したあと、国内版の宗教者会議を開催し、諸宗教間の対話が進められることになります。

 とはいえ、この段階での諸宗教の比較は、いまだキリスト教中心であったことは確かです。この大会における「比較宗教」の基本的な枠組みは、大会の主催者側を代表したバローズの挨拶にある、次のような言葉によく表されています。


「人類としての兄弟愛」の精神をもとに、世界の多彩な宗教伝統の相互理解を深めることを目的とした宗教会議は、予想以上の大成功を収めました。しかし、相互理解のための普遍的原理としてバローズが主張した人類愛や兄弟愛は、しばしばキリスト教の普遍的な真理と同一視され、会議自体もしばしばキリスト教の優越性を主張する方向で議論が進められます。このような比較宗教論の傾向は、この宗教会議の理念的支柱となったマックス・ミュラーの「比較宗教学」自体が孕んでいた課題でもありました。
 人類愛と言いながら、特定の人種や民族の優位性を前提に宗教や文化を比較する姿勢は、130年の時間が過ぎてもまだ完全には払しょくされていません。しかし、他者の信仰の意味を理解し、それに敬意を払う姿勢は、「基本的人権」という普遍的な価値とともに、その後の世界のあり方を変えていきます。こういう点においても、マックス・ミュラーが提唱した経験的・実証的な諸宗教の比較研究と宗教の本質の探究、すなわち「宗教学」という学問は、その後の世界の宗教に大きな影響を及ぼしていくことになるのです。


 今回は少し寄り道をして、マックス・ミュラーの提唱した「宗教学」の実践的な影響について話しましたが、次回以降の講義では、19世紀の後半に成立する「宗教学」という学問が、同時期に成立した新しい人文系諸学問と連携しながら、どのような成果を残してきたのか。それぞれの分野に即して古典的な業績を紹介していきまます。まず、最初は心理学と結びついた宗教の今日的価値に関する経験科学的研究を紹介します。その後、宗教社会学、宗教人類学、宗教言語学/神話学、宗教現象学/人間学といった諸分野における代表的な文献を紹介していきますので、研究者の名前や概念、本のタイトルなどをしっかり覚えるようにしてください。

 理解を深めたい人は、このブログの内容を確認したうえで下記のURLにアクセスし、グーグルフォームの質問に答えてください。


https://forms.gle/2EUrjCMW9ocMviph8

 

 *前回のフォームへ書き込まれた質問に答えておきます。

①ミュラーのギフォード・レクチャーは、一般向けの講演ではなく専門家向けの連続講義です。大学の講義科目をイメージしてください。

②「神学」と「宗教学」の違いを説明するのは簡単ではありませんが、「神学」は特定の宗教の教えを「信じる」ことを前提にして、その教えを信じることの意味を学問的に考えます。一方で「宗教学」は、特定の信仰に偏らずに「宗教」の意味を客観的・経験的に考察し、「宗教とは何か」という問いに向き合うことで、「人間とは何か」という問いへの答えを探求する学問です。この「人間とは何か」という問いには、「社会とは」、「文化とは」、「言語とは」、「心とは」etc. といった「人間」の本質と切り離せない対象への問いが不可分に結びついています。

「神学」と「宗教学」は本質的に異なりますが、それぞれの成果を相互に議論に取り入れることによって、どちらもその研究をより豊かなものにすることができます。