2021年6月21日月曜日

宗教学概論1 第11回


「翻訳語」としての「宗教」と近代日本


 前回の講義までは、マックス・ミュラーによる「宗教」の経験科学的・実証的研究の提唱以来、同時期に登場した心理学社会学文化人類学新しい哲学の動向などと連動して、広い範囲に及ぶ多彩な宗教研究が積み重ねられてきたことを紹介してきました。

 これらの宗教研究の成果は、基本的に「現在の世界に生きる私たちにとって、宗教や信仰は必要なのか」といった本質的な問いを投げかけ、そのうえで「もし、これからの時代に生きる人々にとっても宗教や信仰に価値があるとするならば、それは一体何故なのか」といった切実な問いに答えてくれています。

 主に20世紀を代表する優れた知性の持ち主たちが、新しい学問の方法をもとに蓄積してきた「宗教」に関するこれらの知の遺産は、これからの時代に教会長や布教従事者として世界に自らの信仰を伝えようと考えている人たちにとって、必ず役に立つ情報や理論を多く含んでいます。

 あるいは、一般の企業や職場で働く人たちにとっても、他者の信仰や文化を理解し、学ぶことは極めて大切です。この講義では、古典中の古典と言えるような著作しか紹介できませんでしたが、少なくともどれか一冊くらいは、自分の手に取ってみてください。きっとこれまでの人生を変えるような、知的な出会いが待っているはずです。




明治期の宗教系用語の翻訳と定着

 今回は、マックス・ミュラー宗教学を提唱した時期に、日本に輸入された「宗教」概念について紹介します。ちなみに、マックス・ミュラーは天理教の教祖と同時代の人であり、ミュラーがロンドンの王立学問所で記念碑的な講演を行なった1870年は、教祖が「おふでさき」の執筆をはじめる1869年の次の年です。

 半期の授業ですので、マックス・ミュラーの宗教学が日本に導入された経緯をくわしく説明する紙幅はありません。今回は、日本への西洋的/近代的な「宗教」概念の導入定着過程についてのみ、簡単に紹介しておきます。

 明治期の文明開化近代化政策のもとで、西洋から導入されたさまざまな新しい概念とともに、新たな時代の新しい言葉が日本に導入され、翻訳語として定着していくなかで新しい社会文化の枠組みが形成されていきます。

 有名なところでは、「社会」、「自由」、「権利」、「義務」といった新しく造られた翻訳語とともに、宗教関係の新たな言葉翻訳語として定着し、これらの概念が導入される以前の日本人の宗教概念に大きな影響を及ぼすことになります。




 著名な国語学者の飛田良文や翻訳語・比較文化論研究者の柳父章といった人々の研究によれば、明治期に日本に導入された概念や事物のなかには、それまで日本に存在していなかったものが沢山あり、それらの翻訳のために新しい言葉が造られました。

 鉄道憲法などは、それまで日本になかった技術や制度ですから、新しい言葉が造られるのは当たり前です。しかし、もっと抽象的な概念であっても日本語に対応する語彙が存在しないケースがしばしばありました。

 日本語に対応する語彙がないということは、その概念自体が日本には存在していなかった、ということになります。「社会」「自由」「権利」といった言葉や概念のなかった世界に、新しい言葉や概念が導入されることは、当然のように社会や文化のあり方を変えていく原動力になっていきました。




 こうした新語の造語法には、一般に大きく分けて次の三つの種類があると言われています。

 まず、一つ目の(1)新造語は、日本語に西洋語の概念が存在しないために、日本人が新しく造語した新語のことです。福沢諭吉が古くから日本で使われていた「世間」に対して、society の翻訳語として「社会」という新語を造ったことはよく知られています。

「世間の目を気にする」というように、農村社会の相互依存相互監視のイメージが強い「世間」という言葉では、自立した個人が形成する市民社会のイメージを伝えることはできません。福沢諭吉が「社会」という新造語を生みだしたことは、単なる言葉の置き換え以上の意味があったと思います。

 他にも philosophy 哲学science 科学Being 存在 といった新造語が有名です。哲学系の新造語が多いのは、「哲学」という学問自体が西洋由来であり、日本人にとっては新しい学問であったからです。

 帝国大学の井上哲次郎などが主な哲学語を日本語に訳しましたが、その際の翻訳語が難解な漢字を組み合わせた抽象的新語であったために、日本の哲学書は難解になったとも言われています。

 二つ目の種類は、(2)借用語です。日本語に西洋語の概念が存在しないため、主に中国で活躍した欧米人宣教師の中国語訳、漢訳洋書、英華辞典などから中国語の訳語を借用し、日本語に適用した翻訳語です。この場合、もとは中国語訳ですので、どうしても中国語のニュアンスと訳語の背景にある中国文化の影響を避けることができません。

 このタイプの代表的な翻訳語の一つは、「神=God」です。かつて津田左右吉が指摘し、柳父章が強調するように、Godを「神」と訳すことによって、中国語の「神 shen」と日本語の「神 kami」のニュアンスの違いが無視され、さまざまな混乱が生じることになります。

 また、adventure/冒険 love/恋愛 といった概念や telegram/電報 といった用語も中国語経由で翻訳されました。江戸時代の洋学の知識―もちろん、和蘭通詞のような人たちはいましたが―基本的に中国語訳された文献をもとにしていました。多くの西洋の概念は、江戸時代中期以降に中国語訳された文献から輸入されています。

 三つ目は、(3)転用語です。これは日本語に西洋語の概念が存在しないために、もともと日本語に存在した類義語に、新しい意味を付加して転用した翻訳語です。代表的なものでは、century/世紀common sense/常識home/家庭 right/権利、といった言葉があります。「religion/宗教」は、この転用語の一つです。


宗教/Religion という翻訳語

「religion=宗教」という翻訳語が必要とされるようになるのは、最初は安政5年(1805)「日米修好通商条約」を締結した時でした。

 このとき、日米だけでなく日英・日仏・日露・日蘭の五か国との通商条約が結ばれます。この条約締結の際に、religion という言葉と概念がはじめて日本人に意識されるようになりました。とくに、日米修好通商条約の第8条には、日本におけるアメリカ人の宗教活動の自由を求める記載がありました。ここには、Christianity/キリスト教ではなく、religion/宗教と記載されています。

 それは、日本とアメリカの宗教上の違いからくる対立を避ける思惑から記された条文でした。この授業の最初の頃に学んだように、西欧の世界はキリスト教の価値観を絶対視する中世の世界から、他者の人権や宗教的価値観を尊重し、異なる文化や宗教間の相互理解を重んじる近代文明へと長い時間をかけて転換していきます。宗教を理由に異文化間の対立が生じ、長い戦争と紛争の時代を経てきた西洋文明の歴史が、この条文の「religion」という言葉には含まれていました。

 しかし、200年以上「鎖国」を続けてきた日本には、宗教の相違にもとづく異文化間の対立や紛争などは、ほとんど理解できていませんでした。このときは、主に「宗旨」「宗法」という訳語が使われています。




 外交文書に「宗教」という訳語が登場するのは、相原一郎介によると、明治2年のドイツとの条約が最初であるとされています。もともと、「宗教」という熟語は日本語にありましたが、それは「宗派の教え」といった意味で使われる言葉でした。

 仏教キリスト教天理教もみな「宗教」である、といった意味で使われる「宗教」の概念は、それまで日本語にはなかったと言っても良いと思います。初期には「教門」、「宗門」、「法教」といった訳語も使われていますが、どれも  religion という言葉の意味とは程遠い熟語でした。

 鈴木範久氏は、日本におけるキリスト教の禁制に抗議するアメリカからの文書に religion とあるのを「邪宗門」ではなく「宗教」と翻訳したことが、他者の信仰を理解する意味を含んだ「宗教」という言葉の使用の最初であると指摘しました。

 このような過程を経て、「religion=宗教」という翻訳語が日本で使われていくのは、明治10年代のことだとされています。そして、「宗教」という翻訳語と「宗教」という言葉の意味する概念が、一般に現在のような意味で使われていくのは、明治30年代以降のことです。


近代的「宗教」概念の定着

 この講義ですでに紹介したように、1893年に米国シカゴ市のコロンビア万国博覧会に合わせて、万国宗教会議(the World’s Parliament of Religions)が開催されました。この会議には、日本からも仏教各宗派や神道関係者が出席し、世界の十大宗教の代表者たちと活発な議論を重ねます。

 この会議に出席した日本の代表者たちは、帰国後も国内の宗教関係者を集めて日本版の宗教会議の開催を企画し、明治29年(1896)「宗教家懇談会」を開催します。この会には、仏教、キリスト教、神道などの代表者が参加しました。

 明治維新以来、排仏論排耶論護法論といった言葉がしばしば使われてきたように、互いに対立する場面の多かった日本の仏教神道キリスト教は、対立関係から対話路線へ方向転換することになりました。




 明治30年代以降は、仏教者の反キリスト教的な主張は影を潜めますし、復古神道的な排仏論は過去のものになります。しばしば、日本仏教は近世的な堕落した姿からは脱却したと考えられました。キリスト教徒のなかにも、内村鑑三のように法然や道元、本居宣長や平田篤胤らの思想を含む、日本の精神文化を称えながら、日本精神を基盤とするキリスト教思想を展開する人も登場してきます。

 こうして、「三教会同」という協調路線が形成されていくのですが、日本における諸宗教間の対話路線は、日本が悲惨な戦争へ向かっていくプロセスのなかで、次第にナショナリズム的な傾向を強くしていくことになります。

 また、最初の宗教家懇談会に出席していた岸本能武太姉崎正治は、明治29年に宗教間対話の傾向が強い懇談会とは別に、学術的な会合を企画し、現在の「日本宗教学会」の前身となる「比較宗教学会」を設立します。

 シカゴの万国宗教会議自体、マックス・ミュラーが提唱した、今日における「宗教」の存在意義に関する経験科学的な研究と諸宗教の比較研究にもとづく「宗教」の本質の探究、という宗教研究の新たな潮流を背景とするものでした。明治30年代には、この近代的な「宗教」概念日本に定着して行きます。

 日米修好通商条約の条文からはじまった日本における「宗教」概念の受容は、「宗教学」という新たな学問の導入とともに転機を迎え、「宗教」という言葉を現在のような意味で使う語法が日本社会に定着していきました。

 そして、明治38年(1905年)姉崎正冶を担任教授として、東京帝国大学に宗教学講座が開設されるのですが、今回はそこまで詳しく説明することはできないようです。

 フリードリヒ・マックス・ミュラーの伝説的な講演が行われたのは明治3年であり、「宗教学」という新しい学問は、明治維新後の日本にほとんどタイムラグなしに直輸入されることになります。このときにキーマンとなった、南条文雄笠原研寿といった人々についても紹介したいのですが・・・これは次の機会に・・・。

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2021年6月14日月曜日

宗教学概論1 第10回


人間存在と宗教

―宗教現象学の展開―


 マックス・ミュラーが提唱した、今日における「宗教」の存在意義に関する経験的・実証的研究は、同時代に登場した人文学系の諸学問と連動するかたちで発展していきます。

 これまで、心理学や社会学、人類学と結びついた研究成果を紹介してきました。今回は、20世紀の新たな哲学の動向と関連して展開した、宗教現象学について紹介しましょう。


宗教現象学の展開

 マックス・ミュラーが「宗教の科学的研究」を提唱した19世紀の末期に、哲学の新しい運動として登場してくるのが「現象学」と「現象学運動」です。提唱者とされるエドムント・フッサール(1859-1938)現象学の理論が難解なうえに、現象学運動の担い手たちがさまざまな思想を展開していくために、彼らの活動を全体的に捉えることは容易ではありません。『現象学運動』という大著をまとめているシュピーゲルバークその人でさえ、「現象学とは何かを言い当てることの困難は、ほとんど悪名高いというほどによく知られている」と言っているほどです。




 しかし、現象学は意識にあらわれる体験の構造を「説明」する方法であり、理論・推論・科学的仮説を前提とせずに、直観的な対象に対する意識を重視するということは、ある程度共有されているような気がします。つまり―簡単に説明するのは困難ですが、あえて言うなら―学問や常識などのフィルターを通さずに、対象の本質を直観的に把握し、現象をあるがままに捉えて、その本質を認識しようとします。このため、あらゆる理論にもとづく演繹的な説明は、極力排除されることになります。

 この手法が、ちょうど同時代に登場した「宗教学」の諸分野に関連づけられると、社会学や心理学、文化人類学のフィルターを通して説明される「宗教」は、「宗教」の本質的な理解ではなくて「宗教」の学問的なイメージに過ぎない、ということになります。このため、宗教現象学の研究者とされる人々は、デユルケームやフロイトに代表されるような宗教の社会学的・心理学的説明を「還元主義」と批判し、宗教の本質を直観的に問い、宗教的価値を信じ、宗教的行為を行なう当事者にとっての行為の意味を理解することの重要性を訴えるようになりました。 

 フッサールが提唱した、「自然的態度の括弧入れ」「純粋意識への還元」、「本質直観」などの新しい方法を宗教現象に適用し、哲学的宗教現象学を展開したのはマックス・シェーラー(1874-1928)でした。シェーラーは、宗教の「本質的現象学」「具体的現象学」を区別し、前者こそが宗教の本質を真に捉えることができるとします。そして、宗教的作用を「宗教的志向作用」とみなして、その本質を解明しようとしました。同時にマックス・シェーラ―は、「哲学的人間学」を提唱して、人が超越的な存在や価値を信じることの意味を哲学的に基礎づけようとします。



 また、フッサールが現象学の基本的構想を確立した20世紀の初頭は、ちょうどマックス・ミュラーが提唱した宗教の経験的・実証的研究が広く定着し、社会学や心理学、文化人類学などの理論をもとにした宗教研究が盛んに行われていた時期でした。こうした、人文学的な宗教研究のなかには、ジグムント・フロイトや―少し時代はずれますが―カール・マルクスのように、宗教の存在をネガテイブに捉える立場から、宗教や信仰の意味を説明する理論も少なくありませんでした。

 こうした状況のなかで、とくにキリスト教の神学者の立場に近い宗教研究者のなかから、宗教的な経験の意味は、当事者である信仰者の内的経験の直観的な分析から始めなくてはならない、といった提言がなされるようになります。


宗教の本質としての「聖なるもの」

 まず、代表的な宗教学者・神学者は、ルドルフ・オットーです。1917年に刊行された『聖なるもの』のなかで、オットーは「宗教とは何か」という問いを「宗教現象に固有の本質を理解すること」に置き換えます。つまり、社会学や心理学や文化人類学などの理論を通して演繹された「宗教」の説明ではなく、宗教的な価値を信じ、宗教的行為を行なう当事者にとっての行為の意味を理解することを重視しました。



 たとえば、デユルケームの紹介のときに使った事例で言えば、教会本部へ参拝に行ったときに結界を踏み越えないのは、社会的な関係を背景とする「力/社会」が壁になっているから「だけ」ではなくて、宗教的行為に固有の何かがそこに存在するからだ、とオットーは考えます。

 信仰者にとっての宗教的行為の意味は、社会的事実や心理的解釈にすべてを還元して説明することはできないのです。オットーは宗教学者であると同時に神学者であり、宗教活動を行なう当事者の意識に近い彼の宗教哲学は、あらゆる宗教伝統に属する神学者や信仰者たちに広く受け容れられていくことになります。

➡私自身、教会本部の神殿に参拝するときはいつも正座していますが、足を崩さない理由を社会学的・心理学的に説明されても、やはり違和感(それだけではない、という気持ち)が残ります。

 とはいえ、宗教現象に固有の本質があるとすれば、それはどのようなものなのでしょうか。オットーは、それは経験に先行するものであって、合理的・経験的に説明できるものではないとし、これをヌミノーゼ(Numinous)と名付けました。オットーが、ラテン語の「ヌーメン(numen)」から造語した用語です。

 宗教経験の本質は、非合理的・先験的な「何か」の体験、すなわち「ヌミノーゼ」であるとすれば、宗教の存在意義の経験的・実証的研究という宗教学の前提は崩れてしまうように感じます。

 しかし、この非合理的で先験的な経験は、あらゆる宗教現象の本質であるため、オットーは「聖なるもの」を前にした信仰者の態度や行為、すなわち世界の宗教現象を経験的・実証的に比較研究することによって、宗教的な行為の意味をより深く理解できると考えました。つまり、宗教の比較研究とそれによる宗教の本質の探究に、哲学的な基礎づけを与えることになったのです。




 オットーが強調した、ヌミノーゼ(Numinous)体験の特徴は、戦慄的すべき神秘(Mysterium tremendum) 魅惑する神秘(Mysterium fascinans)です。このような、心理学にも社会学にも還元できない感情があらゆる宗教体験の基盤であり、これは世界のさまざまな宗教伝統に共通してみられる、とオットーは考えました。



 オットーは、デユルケームのように文献に残された記録を通して異文化の宗教を研究した人ではなく、副題に「旅するオットー」と題する本も出版されるほど、世界各地を自分の足で訪れ、各地の宗教現象を観察し、自ら収集した資料をもとにして、勤務先のマールブルク大学に「マールブルク宗教学資料館」を開設しました。

 この資料館には、二代・三代真柱様との関係から天理教の詳しい資料も展示されています。主著である『聖なるもの』自体は、哲学的な議論に終始していますが、オットーの宗教論は自らの体験にもとづく世界の宗教伝統の幅広い知識に裏付けされているのです。


宗教現象の意味と人間の本質の探究

 フッサールの現象学をより自覚的に信仰者の立場に引き寄せたのが、G. ファン・デル・レーウ(1890~1950)です。レーウはオランダの神学者ですが、近代の宗教現象学を代表する宗教学者でもありました。このあたりは、オットーと共通しています。

 しかし、オットー比較宗教学の哲学的な基礎づけを目指したのに対して、すでにC. P. ティーレシャントピー・ド・ラ・ソーセイのような、人類史・世界史の視座から宗教史を構想する伝統があったオランダの宗教学の土壌で学んだレーウは、世界宗教史を全体的に俯瞰する「宗教現象学」を提唱します。つまり、世界の宗教史に普遍的に見られる現象の意味を信仰者の側から理解して、そこに共通の本質を見いだすというアプローチを提唱したのです。

 レーウは、1933年に大著である『宗教現象学』を刊行していますが、その前段階の1924年『宗教現象学入門』という小著を出版して、この新しい学問を概説しています。こちらは、田丸徳善先生の日本語訳がありますので、ぜひ図書館や宗教学科の演習室などで手に取ってみてください。



 レーウにとって、宗教現象学は宗教史と同じ対象を扱う学問であり、彼にとっては基本的に宗教史と宗教現象学の区別はありません。「宗教史」という概念は、キリスト教史や仏教史、天理教史などとは違って、最初から諸宗教の比較を念頭に置いています。さらには、世界の宗教史という概念は、必然的に日本の宗教史やアメリカの宗教史、ヨーロッパの宗教史といった枠組みに限定されることのない、「人類」の宗教史という意味を含んでいます。

 レーウは、人類の営みの通時的な記録であるこの「宗教史」をもとにして、「神の観念」「人間観」「神と人間の関係」「世界観」「制度・組織」といった宗教現象を総合的に把握し、「神」ないしは「超越的な何か」と人間の関係とは何か、人はなぜ「神」ないしは「超越的な何か」を信じるのか、といった問いに対して、信仰者の立場から答えようとします。

 レーウにとって、宗教現象学は諸々の宗教現象が、信仰者にとってどのように捉えられているのかを問う営みでした。このため、彼はまず価値判断を差し控えて宗教現象の意味を問い、その意味に従って諸現象を分類することを重視します。そして、たとえば「神」というカテゴリーのもとで、古代の神話の神々や未開の部族の神々、キリスト教の神観念までを同列に並べて、それらに共通する「力あるもの」への態度を見ようとします。

 その際、宗教現象の意味の解釈は社会学や心理学のようなフィルターを通すことなく、当事者にとっての行為の意味を通して理解されることを前提としました。

 まず、先入観を廃して「これまで何が行なわれてきたのか」という事実を広く収集し、この事実の意味を当事者の立場を通して類型的に把握する姿勢は、あらゆる学問や常識のフィルターを通さずに対象の本質を直観的に把握し、現象をあるがままに捉えて、その本質を認識しようとするフッサールの現象学に共通するところがあります。



 神を礼拝するという宗教的行為は、社会学者のデユルケームが分析したように、社会的事実として説明することも可能ですが、まずはそのようなフィルターを通した見方は「括弧に入れて」当事者にとっての信仰の意味を問うべきである、とレーウは主張します。

 こうした、かなり神学的な主張がフッサールの現象学を使ってなされたのです。なぜなら、この講義で紹介したデユルケームやジェイムズのような人たちとは違って、心理学や社会学の方法論を使って、これからの時代の宗教の存在について、ネガテイブな見解を提示する人も少なくなかったからです。

 レーウの宗教現象学は、さまざまな宗教伝統に属する神学者たち―宗教を擁護する人たち―には歓迎されましたが、現象学運動の一部に組み込まれるような知的営みとして、評価されたとは言えません。しかし、宗教史の記述から独立した、人類の宗教的営みの総合的理解というレーウの営みは、社会学や心理学、文化人類学の一分野としての宗教研究ではなく、独立した研究分野としての「宗教学」の可能性を示すことになります。


人間存在と宗教―ホモ・レリギオースス―

 こうした宗教現象学の潮流を人類史の分析にもとづく文化論にまで高めて、「比較宗教学」を独立の学問として成立させたのは、ルーマニア出身の宗教学者であり文学者でもあったミルチャ・エリアーデ(1907~1986)でした。

 エリアーデの著作は膨大であり、彼が後半生を過ごしたシカゴ大学の宗教研究者たちと取り組んだプロジェクトも数えきれません。とはいえ、エリアーデの名声を確立した『聖と俗―宗教的なるものの本質について―』(1967)は、宗教学を学ぶ人にとっては必須の文献ですので、宗教学科の学生は在学中に必ず目を通してください。



 この本のなかでエリアーデは、宗教現象の本質を理解するために「ヒエロファニー」【hierophany】という分析概念を提唱します。「聖体示現」とか「聖化現象」などと日本語訳されるこの概念をもとに、エリアーデは世界のさまざまな宗教現象を信仰者の側に立って説明していきます。

 たとえば、しばしば巨大な石は世界のさまざまな地域で信仰対象になっていますが、その石自体は基本的にただの石です。特殊な成分を含む石であるケースは、極めて少ないでしょう。しかし、これらの石は神聖な存在として扱われます。

 たしかに、山中に一つだけポツンと存在する巨大な石は想像力を掻き立ててくれます。もし、このような巨石をこの場所へ運んだ「力」があるとすれば、それは人知を超えた力ではないでしょうか。つまり、多くの場合に人々は、石を拝んでいるのではなく、石を通して人知を超えた「何か」やその「力」を礼拝しているのです。

 また、一定の人々が何かを「聖なるもの」にすることもあります。かつて、米国のサンフランシスコの近くにあるスタンフォード大学の大学院に留学していた際、インド系の移たちが大きな石をサンフランシスのゴールデンゲート公園に置き、崇拝の対象としているというニュースを新聞で見ました。

 興味深い話なので、当時いろいろと調べてみたのですが、高さが2メートル近いこの巨石は、もともとある業者が公園に不法に捨てた産業廃棄物だったようです。しかし、その形がインドの宗教伝統において神聖とされる「リンガム」に近い弾丸のような形をしていたので、いつしかインド系の移民が集まるようになり、私が調べたときには、石に触って病気が治ったと主張する人まで現れていました。

 この石は、不法投棄されたゴミなのか、それとも神聖な存在(聖なるもの)なのか。結局、サンフランシスコ市によって撤去されることになるのですが、エリアーデなら、きっとこの石は「ヒエロファニー」だと言ったでしょう。



 聖なるものを中心とする世界は、近代的な価値観によって形成される世界とは違います。サンフランシスコの弾丸石を中心(世界軸/axis mundi)とする世界は、弾丸石を「聖なるもの」と見なして礼拝する人たちの世界であり、弾丸石に触れることによって病気の治る世界です。

 これを近代的な価値観をもとに否定するのではなく、神聖なる世界に生きる人々の意志「聖なるもの」とともに生きる人生の価値をエリアーデは尊重します。そして、その先に現代文明が失った神聖なる世界を取り戻し、新しいヒューマニズムを確立するという壮大な文明論を構想しました。

 こうしたエリアーデの宗教論は、2度の世界大戦を経て、核戦争の危機に直面し、地球規模の環境汚染が指摘されるようになった1970年代以降に、カウンター・カルチャーやヒッピー・ムーブメントなどの近代批判の風潮に乗じて広く支持されました。

 しかし、人類の精神文化の類型的把握を目指すエリアーデの「世界宗教史」の企画は、あまりに壮大で多岐にわたっており、細部における実証性が乏しいため、現代の宗教研究者たちに客観的で実証的な学問としては評価されていません。

 しかし、エリアーデが提唱した近代文明批判と「聖なるもの」とともに生きる新しいヒューマニズムの価値は、現在においても決して色褪せてはいません。『聖と俗』を読む前と読んだ後では、宗教的行為に関する皆さんの意識はかなり変わるはずです。ぜひ、手に取ってみてください。

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2021年6月7日月曜日

宗教学概論1 第9回


宗教人類学と文化研究

―タイラーからギアーツへ―

宗教人類学と文化研究

 マックス・ミュラーが提唱した、今日における「宗教」の存在意義に関する経験的・実証的研究は、同時代に登場した人文系の諸学問と連動するかたちで発展していきます。これまでに、心理学や社会学と結びついた研究成果を紹介しました。今回は宗教の人類学的研究文化研究について紹介しましょう。

 人文系の学問と結びついて展開してきた、経験的・実証的な宗教研究の諸分野のなかで、これまで最も多くの研究成果が残され、今日においても新たな研究が積極的に行われている分野は、人類学民俗学、さらには文化論文明論などと結びついた宗教研究です。

 現在でも新しい研究成果が続々と発表されていますので、今回の講義では紹介する研究者の名前著作のタイトル基本的概念などの数がこれまでの講義よりも遥かに多くなっています。講義の内容を理解することはもちろん大切ですが、まずこれらの名称を覚えてください。

 宗教人類学と文化研究に関連する宗教研究は多岐にわたっています。このため、簡単に分類するのは難しいのですが、敢えてここでは次の3分野に分けて、先行研究を紹介することにしましょう。



 一般に人類学は、人類の生物学的な進化考古学的な発掘調査などを駆使して研究する自然人類学(Biological Anthropology)と、人類の社会的・文化的側面を研究する文化人類学 (Cultural Anthropology)ないしは、社会的側面を強調する社会人類学 (Social Anthropology) に大別されます。

 ここでは、文化人類学と社会人類学を総称して”文化人類学”とし、文化人類学的な宗教研究の古典的な業績を紹介します。

 まず、初期の文化人類学の営みは、人類の文化の起源と進化の研究にしばしば宗教研究を結びつけました。神話や儀礼習俗・習慣などの人類の文化的な営為は、多くの場合に宗教的な信仰と結びついています。

 また、初期の人類学者たちは現存する「未開部族」の人々の生活習慣や社会のなかに、人類の文化の原初の姿が残されていると考えました。彼らはさまざまな古記録や多彩な地域への旅行記録探検日誌などを頼りに人類の文化の起源と進化を明らかにしようとします。

 また、人類学の営みが深化すると文献記録を頼りにするばかりではなく、実際に現存する「未開社会」の人々と生活をともにし、異なる文化や社会、生活習慣などを自ら体験し、より深い理解に到達しようとする研究者たちが登場してきます。

 アームチェアからフィールドワークへ、としばしば言われるように、彼らは実際に研究対象である地域の人々と生活をともにし、未開社会の構造とその文化的・社会的行為との関係について、より深く理解しようとしました。

 さらには、異文化や異質な社会のシステムの総合的な理解を深める研究は、文化や思想、社会体制などの違いを背景にして国と国の間の緊張が高まり、戦争と紛争の絶えなかった20世紀の世界において、極めて重要な学問となります。

 文化人類学的な探求は、未開社会の人々の生活様式を明らかにするレベルから、日本やインドネシアといった国家単位や東洋と西洋といった文化圏単位において、宗教的象徴体系と文化・社会システムとの相関関係を問う学問へと発展してきました。こうした、文化研究としての宗教研究は、現在の宗教学の主流といえる研究分野になっています。


人類文化の起源と進化

 まず、人類の文化の起源と進化を問う、初期の文化人類学の研究では、しばしば「文化人類学の父」と称される、エドワード・バーネット・タイラー『原始文化』(Primitive Culture)1871年に刊行されます。

 



 本書のなかでタイラーは、文化について「文化あるいは文明とは、そのひろい民族誌学上の意味で理解されているところでは、社会の成員としての人間(man)によって獲得された知識、信条、芸術、法、道徳、慣習や、他のいろいろな能力や習性(habits)を含む複雑な総体である」と定義し、人類の文化の発展と起源を問うという、壮大な営みを行ないます。長い間、50年以上前に日本語訳された抄訳しかなかったのですが、ようやく完全な日本語訳が刊行されました。古典中の古典の一つですので、ぜひ手に取ってみてください。

 タイラーは、人類の文化の発展段階を考察するための中心的な題材を宗教に求めて、アニミズム(animism)を宗教の基盤となる信仰であると考えます。アニミズムは、生物・無機物を問わないすべてのものに霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方のことです。霊魂というと、少しオカルト的な響きを感じますが、タイラーのアニミズムの語源は、ラテン語のアニマ(anima)であり、気息・霊魂・生命を意味する言葉です。

 つまり、自然界のさまざまな存在に「生命」を感得する感性「アニミズム」なのであって、これは文化や社会や生きる時代の違いに関わらず、どの人間にも共通する感性の一つなのではないでしょうか。

 もし、この感性がなければ、自分以外の人や動物に「生命」があることを認めることはできないでしょう。さらには、人間や動物以外の植物や自然の事物、さらには道具や人形のような物にも「生命」と感じる習俗は、世界中のあらゆる文化伝統に普遍的に見られます。



 文化の発展段階にともなって、素朴なアニミズムが一神教的な信仰に昇華していくとするタイラーの進化論的な見解は、文化の相対性を前提とする今日の文化人類学の方法とは相容れません。しかし、それでも「生命」を感得する感性を人間の本質の一つであるとして、この人間の本性と宗教の不可分の関係性を指摘したタイラーの宗教論は、現在でも重要性を失っていません。

 タイラーの弟子のマレットは、師説に異論を唱えて「宗教の出発点」は、アニミズムよりも前の段階にある、漠然とした力/「マナ」の観念にあるとし、自らの説を「アニマティズム」と呼んで、タブー(禁忌)や呪術の研究を重視したプレアニミズム論を展開します。とはいえ、こうした動きもまた、タイラーの「アニミズム」論から派生したものです。


文化的行為としての呪術と儀礼

 文化的行為としての呪術や儀礼の研究では、ジェームズ・フレイザー『金枝篇』(1890~1936)が有名です。タイラーの影響を受けたフレイザーは、その生涯を研究に捧げてヨーロッパ各地から世界中の古伝説や古典史料を渉猟し、大著である『金枝篇』を刊行します。

 40年以上も増補・改訂をくり返し、フレイザーの死の直前まで執筆が続けられた、文字通りの大著を簡単に説明することは不可能ですが、日本語版の第1巻に治められている呪術の分析は、宗教学を学ぶ人にとっては必読の理論です。ぜひ、図書館や書店で手に取ってみて下さい。



 フレイザーは、呪術は宗教ではなくて「未開の科学」であるとし、近代科学とは異なる「観念連合」にもとづいて事物の関係を説明する体系であると考えます。こうして、迷信と宗教との関係を進化論的な図式から解放しました。

 宗教は、洗練された新しい呪術ではないのです。接触(感染)呪術模倣(類感)呪術という類型を使って説明される、未開の科学としての呪術の論理の説明は、現代における「知の枠組み」を問い直すうえでも極めて興味深い内容になっています。ちなみに、模倣(類感)呪術は、類似のものは相互に影響し合う、という観念連合にもとづきます。例えば、ヒトガタの人形に釘や針を刺す行為などです。

 その一方で、接触(感染)呪術は、一度関係を持ったものはその関係を持続する、という観念連合にもとづきます。たとえば、呪いをかける対象が触ったり、身に付けていたものや身体の一部(爪や毛髪)を入れた人形に危害を加える、といった行為です。こうした論理は、現在ではもう合理的ではありません。しかし、少なくともある時代のある地域では、合理的に説明をできる行為であった、とフレーザーは考えました。

 キリスト教以前のヨーロッパの基層文明を探求した、フレイザーの壮大な研究誌は世界中の人々を魅了し、日本では柳田国男のような人々に大きな影響を及ぼして「民俗学」という学問を生みだします。



 また、フレイザーとは違って、原始社会と文明社会の根本的な差異を強調した研究では、レヴィ・ブリュール『原始的心性』(1922)があります。異文化の理解が進んだ現在では、あまり取り入れられない考え方ですが、その一方で異文化の世界の異質性を重視する視座は、人間の世界構築の方法の多様性に目を向ける文化人類学の新しい展開に影響を及ぼすことになりました。➡E.E エヴァンズ=プリチャードなど

 また、同時期の重要な業績の一つに、アルノルト・ファン・ヘネップ『通過儀礼』(1909)があります。ファン・ヘネップは、人の一生における誕生、成人、結婚、死亡などの各段階を通過する際に行なわれる儀礼「通過儀礼」と定義し、これらはある社会的地位や役割が他のものに変ることを保障する意味をもつとします。



 これらの儀礼は一般に共通の特徴を持っており、儀礼を受ける者は多くの場合に集団から一定期間隔離されて、生と死の葛藤が象徴的に表現される祭礼を行ない、その後新しい衣服や名前が与えらます。こうした「死と再生」を象徴する典型的な加入礼の一つが、現在ではアトラクションとなっているバンジー・ジャンプです。


社会構造と文化的行為の相関関係

 タイラーやフレイザーによって確立された、未開社会の文化の諸研究に根本的な変革をもたらしたのは、ブロニスワフ・マリノフスキでした。マリノフスキは、文化の起源を問う従来の進化主義的な傾向の強い文化人類学と決別して、機能主義と呼ばれる異文化理解の新たなアプローチを生みだします。

 第一次世界大戦のために南半球に取り残されたマリノフスキは、パプアニューギニアのトロブリアンド諸島の人々と長期間に亘って生活をともにし、異文化理解の研究に「フィールドワーク(参与観察)」と呼ばれる新たな手法を導入します。

「そこ」で起きている事柄の当事者にとっての意味は、「そこ」に生きる人々と生活をともにすることでしか理解できません。彼らともに生活するうちにマリノフスキは、トロブリアンド諸島の人々の儀礼や社会的慣習には、これまで外部の人々が外からの観察によって解釈していた意味とは、まったく異なる機能や役割が存在することを明らかにしました。



 マリノフスキ以降の人類学は、アーム・チェアーの文献学者ではなく、異文化社会に身を置くフィールド・ワーカーが担うことになります。なかでも、同時代のラドクリフ=ブラウンは、デユルケームの影響を受けて社会的行為と社会的結合の有機的関係を明らかにしようとし、独自の社会構造論を長期にわたるフィールド・ワークを通して検証します。



 マリノフスキの『西太平洋の遠洋航海者』と同年に刊行された『アンダマン島民』(1922)は、社会人類学の古典になりました。社会関係と社会構造の関連を分析するラドクリフ=ブラウンの手法は、さらに多くの人類学者たちに継承され、構造主義のような現代思想の新たな潮流に影響を及ぼしていきます。

 これらの文化人類学者とは一線画しますが、タイラーやフレイザーの人類文化の起源を辿る研究を発展させた人に、ロバートソン・スミスがいます。スミスは、主著である『セム族の宗教』(1889)において、キリスト教の外套(ベール)の下にある民俗信仰レベルの宗教儀礼や習俗等の歴史的分析を行ないました。こうした手法は、日本の宗教研究者たちの仏教民俗や先祖祭祀の研究にも活かされています。


宗教的象徴体系と文化・社会システム

 人類の文化と社会、宗教の起源を探求する文化人類学は、異文化特定社会の基本構造を解明し、他者の行為の意味を解釈する文化研究として発展していきまます。こうしたなかで、宗教研究は宗教的象徴体系を通して、特定の文化・社会のシステムを解明する学問として、その研究範囲を広げていきました。



 代表的な研究者では、『文化の解釈学』というタイトルの著書も著しているクリフォード・ギアーツが有名です。ギアーツは『ジャワの宗教(The Religion of Java)』(1960)において、トロブリアンド諸島のような狭い社会ではなく、インドネシアのように複雑で大きな社会においても宗教的な象徴体系をもとにした分析が可能であり、宗教文化研究にもとづく異文化理解が可能であることを示しました。



 二度の世界大戦によって疲弊し、冷戦構造のもとで人類存亡の危機に直面していた20世紀後半の世界にとって、異なる文化や社会間の相互理解や国際交流の重要性は、かつてないほどに高まります。他者の理解に寄与する文化研究は、こののち宗教研究の主流になっていきました。

 日本に関するものでは、ルース・ベネデイクト『菊と刀』(1946)において展開された、「文化の型」の議論が有名です。ここでは、日本文化の特徴はキリスト教的な「罪の文化」に対比される「恥の文化」であるとされています。



 また、ロバート・ベラー『破られた契約(The Broken Covenant)』(1975)などで論じたアメリカの「市民宗教(Civil Religion)」の分析などでは、宗教研究をもとにした文明論や文化研究が、アメリカ社会のあり方に対する政治的な提言にまで昇華されました。



 こうした文化研究としての宗教研究は、現在ではさらに多方面に広がっています。私自身も「日本の近代」をテーマにした、同様の研究に取り組む研究者の一人です。でも、自分の研究まで紹介する時間の余裕はありません。

 とはいえ、今日の授業で紹介した業績は、すべて古典中の古典ですので、せめてタイトルや著者の名前くらいは覚えておいて、図書館や書店で見かけたときには、ぜひ手に取ってください。

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2021年5月30日日曜日

宗教学概論1 第8回


宗教の社会学的研究

―ヴェーバー、デュルケームから教団論まで―


*第1回からの授業をブログに順次公開しています。「ホーム」から閲覧できますので、試験等の準備に役立ててください。

宗教研究と社会学

 マックス・ミュラーが提唱した、今日における「宗教」の存在意義に関する経験的・実証的研究は、同時代に登場した人文学系の諸学問と連動するかたちで発展していきます。前回の授業では心理学と結びついた研究成果を紹介しました。今回は宗教の社会学的研究について紹介しましょう。

 宗教社会学という言葉は、宗教心理学や宗教人類学よりもはるかに一般的に使われる熟語です。心理学はむしろ宗教とは結び付きにくい言葉ですし、人類学では文化人類学といった熟語のほうが一般的です。

 これはたぶん、社会学的な視座からの宗教研究が、一時期宗教研究の主流になったからでしょう。現在では文明論や文化論と結びついた宗教研究が主流になっていますが、社会学の創始者と呼ばれるような人たちが、こぞって宗教に関心を寄せたことも一因となり、とくに日本では一時期「宗教社会学」という言葉をタイトルに加えた著作が数多く出版され、独自の研究分野が成立しました。

 これらを簡単に整理すると、次のようになります。


 宗教の存在意義の社会学的研究では、宗教と社会の相関関係が問われます。つまり、「なぜ、宗教が存在するのか」という問いに社会の分析から答えようとする研究がなされました。

 大規模な共同体を維持するために複雑な制度やシステムを組み込んだ、高度に発達した社会とともに在ることが、他の動物と人間を区分する最大の特徴のひとつです。このため、社会の起源を解明することによって宗教の起源を探求する研究は、人間の本質を探る問いとも分かちがたく結びつくことになります。

 ➡人間とは/社会とは/宗教とは、という問いの相関関係

 また、宗教を歴史の動態の源泉と見なす研究では、人類の歴史を動かしてきた宗教の役割に焦点が置かれます。この場合に、宗教の役割をネガテイブに見るか、ポジテイブに捉えるかによって見解が分かれます。さらには、宗教団体は社会を構成する一要素であると考えて、社会集団としての「宗教」の特質を明らかにするような研究もなされました。

 この授業では、これらの分野の代表的な業績を紹介しましょう。

宗教の社会的起源の探究

 まず、宗教の社会的起源を探究する研究では、エミール・デュルケーム『宗教的生活の原初形態』(1912)が有名です。デュルケームは、コントによって提唱された社会学を独立の学問分野として成立させた立役者の一人であり、現在に連なる社会学の生みの親といえる人物の一人です。

 デュルケームは、個人の意思を超えて人々の行動を規定する「社会的事実」について、従来とはまったく異なるアプローチから研究しました。たとえば、著名な『自殺論』では、統計資料をもとにヨーロッパ各国における自殺率の比較を行ない、自殺のような極めて個人的な行為にも、実は社会的要因が強く作用していることを証明しました。

 こうした社会的事実の背景にある集合的意識を解明するために、デュルケームが注目したのが宗教でした。主著の一つである『宗教生活の原初形態』において、デュルケームは、宗教とは社会におけるある種の集団表象であり、宗教的象徴が人々を惹きつける力は社会そのものに根ざす力であると同時に、社会そのものが宗教的象徴の凝集力に支えられていることを見事に説明していきます。





 この際、デュルケームは身近なヨーロッパの宗教事情ではなく、オーストラリアの先住民トーテム崇拝を分析の対象にしました。当時、現存するもっとシンプルな部族社会の一つとされていたオーストラリア原住民のトーテミズムを考察の対象とすることによって、デュルケームは人間社会と宗教の最も原初的な関係を分析し、宗教の社会的起源や機能を解明することを目指します。

 そのなかで、最も重視されたのが「聖と俗」の二分法です。トーテミズムは、ある特定の社会集団と特定の動物や植物、あるいは鉱物といった「トーテム」との間に儀礼的で神秘的な関係を取り結ぶ宗教文化です。トーテムはしばしばその部族の「始祖」と考えられ、創世説話と結びつけられます。トーテムはさまざまなタブー(禁忌)をともない、しばしば自分のトーテムを殺したり、採取したり、食べたりしないという禁止事項が順守されます。デュルケームは、ここに人々の行動を強制するある種の「力」が働いているとし、これを「マナ」と呼びます。このマナ/力は、幻想ではなくて人々の行動を規定する現実的な力です。

 たとえば、宗教的な聖地などにはよく結界が張られています。これらは、バリケードのような障害物であることもありますが、ほとんどは細い縄が張られている程度の簡単なものです。誰でもその気になればすぐに乗り越えられますが、実際に平気で前に進むことはできません。

 身近なところで言えば、教会本部の神殿の結界を思い浮かべてください。たとえ未信者の方であっても、あれを簡単に踏み越えられるでしょうか? 物理的には簡単に乗り越えられますが、実際にはそこに見えない壁があります。しかも、その壁は決して単なる心理的な障壁ではありません。デュルケームは、この見えない力の源を「聖/俗」の区分に見いだし、これを宗教の本質と考えます。そして、この聖俗区分の社会的起源を探求しました。

 トーテミズムは、トーテムという物質的な存在に象徴される非人格的な力(マナ)に対する信仰ですが、その力の源泉「社会」であり、トーテムは社会の象徴/「旗」であるとして、社会の結合力の源泉としての宗教の役割を強調し、有名な「宗教は社会の仮想の礼拝である」という言葉を残しました。

 しかし、宗教あるいは神への信仰の源泉を社会と見なすことは、宗教の否定論でも無神論でもないことは銘記すべきでしょう。

 社会的存在であることは人間の本質の一つと言うべきであり、宗教が社会の源泉であり、社会関係が宗教的力の源泉であるとすれば、宗教的であることは人間の本性の一つである、ということになります。このため、一時期デュルケームの宗教論について、宗教を社会に還元して理解しようとする還元論であると批判する人もありましたが、近年の進化心理学的な宗教研究では、社会的存在としての人間と宗教の起源を結びつけるデュルケームの宗教論は、あらためて脚光を浴びています。

➡宗教研究に社会学的方法を適用し、宗教研究に科学的な基礎づけを付与した名著




宗教と歴史の動態

 宗教を歴史の動態と関連づけて分析し、人類史における宗教の役割を論じた研究では、マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905)が最も有名です。これも宗教学科の皆さんに、在学中に必ず手に取ってもらいたい一冊です。

 ヴェーバーは、近代社会における資本主義の成立をもたらした歴史的動因として、プロテスタンティズムの倫理(エートス)を分析します。特にアメリカにおける資本主義経済の目覚ましい発展と社会生活の合理化に強い刺激を受けたヴェーバーは、西洋近代の資本主義を発展させた原動力は、主としてカルヴィニズムの宗教倫理から生じた世俗内禁欲と人々の生活の合理化であると考えました。




 社会科学的な歴史分析の古典中の古典である本書は、発表と同時に大きな反響と論争を引き起こすことになります。とくに、マルクス主義の「宗教は上部構造であって、下部構造である経済に規定される」といった議論や「宗教は民衆のアヘンである」とする唯物史観に反論する材料を提供してくれたことは、神学者を含む宗教研究者に大きな刺激を与えることになりました。

 ある意味では、ジグムント・フロイトの精神分析に基づくネガテイブな宗教論とウイリアム・ジェイムズの宗教経験の心理学的分析の関係に、少し似ているかも知れません。

 歴史を作るのは一人ひとりの人間ですが、その行動にはそれぞれの理由があり、動機があります。ヴェーバーは、人の行動に理由を与えて歴史を生成する「心理的起動力」「倫理=エートス」と呼び、近代資本主義の形成過程における宗教のポジテイブな役割を強調しました。

 しかし、「資本主義の精神」「プロテスタンティズムの倫理(世俗内禁欲)」の相互関係を指摘するヴェーバーの分析は、キリスト教の信仰が近代資本主義をもたらしたというような、単純な影響関係を論じたものではありません。ヴェーバーが指摘しているのは、キリスト教が資本主義の思想的なルーツであるということではなく、特定のプロテスタント信仰者たちに固有の生活様式が、近代資本主義の形成に影響を及ぼしたという社会的・歴史的事実です。キリスト教と近代資本主義という、本来なら交わらない水と油のような存在が、社会的次元で結びついていることを明らかにしたことが、マックス・ヴェーバーの最大の功績だと言えるでしょう。

 ヴェーバーは本書を刊行したあとで、宗教倫理と経済活動の社会的次元における関係の分析を世界史全体に拡大し、「世界宗教の経済倫理」を明らかにするという壮大な構想を持っていましたが、スペイン風邪による肺炎のために世を去り(1920年/56才)、この研究は未完に終わります。

 しかし、ヴェーバーが宗教倫理の分析を行なった日本を含む地域では、とくに自国社会の近代化を推進しようとする近代主義者たちによって、ヴェーバーの分析が広く取り入れられていきました。日本でも丸山真男大塚久雄といった思想史家や社会学者たちに大きな影響を与え、ヴェーバーの歴史的・社会的分析をもとにした日本の社会や文化、日本の近代史の研究が広くなされるようになります。ある時期には、日本の宗教研究者のほとんどが、マックス・ヴェーバー研究者(ヴェーバーリアン)であるというような状況でした。

 かく言う私自身もこの系列の研究者であり、論文や著作もいくつか発表しています。授業ではあまり詳しく語る余裕はありませんが、また何かの機会に紹介することにしましょう。

 ➡宗教研究に関心を持つ人の必読書



社会集団としての「宗教」の研究

 最後の「社会集団としての宗教」の社会学的な研究を代表するのは、ヨワヒム・ワッハ『宗教社会学(Sociology of Religion)』(1940)です。この系列の宗教社会学は、宗教集団をさまざまな社会集団と同様に社会内に存在する集団の一つと見なし、宗教集団/教団に固有の性質や特徴について論じる営みです。

 宗教を人間心理や社会的事実、文化現象などと切り離して、宗教現象の固有性を強調するシカゴ大学の神学者や宗教学者たちを中心にした宗教研究の手法を社会学的な宗教研究に反映させた古典的な名著です。古い日本語訳はありますが、簡単には手に入りません。英語の原書にチャレンジするのには最適な本の一つです。ちなみに、私が初めて英語の原著を読んだのはこの本でした。その後の留学中の苦労を考えると、とても読みやすい本だったと思います。

 確かに宗教集団には宗教集団に固有の組織原理や構造があり、一般企業や地域社会、学校や任意団体などと共通している部分もある一方で、やはり本質的に固有の側面を持っています。

 たとえば、リーダーの資質なども一般的な社会集団における統率者の資質と宗教集団における統率者の資質は微妙に異なります。また、人と人をつなぐ原理も他の社会集団とは違って、雇用関係や地縁・血縁関係などとは異なる原理が相互の関係性を形成します。ただし、宗教集団も形骸化すると血縁や学歴などの一般の社会集団と同じ原理がカリスマの継承に使われ、宗教集団にも一般企業の雇用関係と同じような組織制度が持ち込まれるようになる、といったワッハの宗教集団の分析は、現在でも傾聴すべきところがあります。

➡合致的宗教集団と特殊的宗教集団、支配の諸類型をベースにした宗教的指導者の類型など。

 ワッハが先駆者となった宗教集団論教団論の研究は、とくに神学者や特定の教団関係者を中心にした宗教研究者たちに受け容れられ、多彩な教団調査や宗教集団と社会の関係に関する研究、さらには宗教の社会貢献などについての研究につながっています。こうした社会集団としての宗教の研究は、狭義の宗教社会学と呼ぶべき研究分野です。

※こうした社会学的な視座からの宗教研究は、一時期宗教研究の花形でしたが、現在の宗教研究の主流は、やはり文化研究です。次回は、文化人類学や民俗学と結びついた宗教研究について紹介します。

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宗教学概論1 第3回


「宗教」から「宗教学」へ

 前回の授業では、主に西洋の文明圏において、さまざまな「他者」との出会いが中世の絶対的な神の権威を揺るがし、社会や文化、人々の生活様式にまで及ぶ広範な変化をもたらした過程について紹介し、中世から近代への移行期に、「人間」や「人類」といった意識とともに、仏教もキリスト教もイスラームも天理教もみな「宗教」である、といった新たな概念が登場してくる歴史的背景について学びました。

「ルネサンス」「十字軍」といった言葉を覚えていますか。必要な人は、もう一度前回のブログを確認してください。

「他者」との出会いと「宗教」

 「宗教」という新しい概念の登場と深く関わる「他者」との出会いのなかで、まず最初に紹介したのは「十字軍」の侵攻と駐留による東西文明の交流でした。ここで「東西」という場合の「東」は、オリエントと呼ばれたイスラームの支配圏のことです。

 神の意志によって組織されたはずの「十字軍」の遠征は、初期にはかなり成功をおさめますが、次第に西側の形勢が悪くなりました。また、イスラーム圏に十字軍の遠征による支配地域が確立されていくなかで、東西文明の交流が深まり、中世の絶対的な神権秩序は揺らいでいきます。

 そうしたなかで、イスラーム文化圏において広く受容されていた古代ギリシャやローマの思想や知識への回帰がおこります。ルネサンスと呼ばれた古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動は、14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まりました。そして、古典古代の人文主義の復興が謳われるなかで、中世の神中心の文明は、次第に人間中心の文明に移行していくことになります。物事を判断する正しさの基準もまた、聖書の権威から人間の理性の判断へ移っていくことになりました。




 さらには、大航海時代の始まりによって世界地図に記載される世界はさらに拡大し、インドや中国のスパイスや陶器を求めて多くの人々が大海に漕ぎ出す時代になり、仏教儒教などの高度な精神文明の存在が西洋でも広く知られるようになります。

 インドや中国の精神文明は、西洋の人々が知っていたユダヤ教、キリスト教、イスラームなどのセム系一神教―旧約聖書に登場する神を崇拝対象にするために、しばしば「アブラハムの宗教」とも呼ばれる―とは全く異質な精神文明であり、しかも西洋のキリスト教よりも古く長い時間をかけて蓄積された伝統を有していました。こうした「他者」との出会いもまた、キリスト教中心の中世の文明秩序を揺るがす要因の一つになっていきます。

 さらには、「世界」が周航されることによって、肌の色や言語の違い、社会体制や文化習慣の違いにもかかわらず、地球上に存在する人間は同じ人類であって、それぞれの人間の生命と人間としての尊厳は、平等に尊重しなくてはならない、といった意識が芽生えてきます。

 現在では、地球上に存在する様々な民族や人種の違いは、遺伝子情報の面ではほんの些細な差異でしかないことが科学的に解明され、地球上の現生人類はほぼ同じ人間であるということが常識になっています。しかし、こうした意識が世界中に浸透するまでには長い時間がかかりましたし、いま現在も起こっている地域紛争や差別的行為などを見る限り、地球上の人類はみな同じ人間である、という意識が広く世界に浸透するのには、まだ時間がかかるような気がします。

 とはいえ、この時期に生まれた人類という意識は、キリスト教以外の他者の信仰もまた、「宗教」として尊重しなければならない、という意識を促すことになります。他者が信仰する神は、自分たちが信仰する神と同じように、その人たちの人生に価値を与え、生きることに意味を与えている限りにおいては、自分たちの信仰と同じように尊重しなくてはならない。

 自分たちの信じる教えばかりでなく、他者の信仰も「宗教」として尊重するという姿勢は、人種や言語などのさまざまな差異にもかかわらず、地球上に存在する人類はみな同じ人間である、といった意識と分かちがたく結びついています。ある意味では、コインの表裏のような関係であると言えるでしょう。

 新大陸・新世界(科学的世界像)・異文化・古典/古代・個人の信仰、といった「他者」との出会いが「人間」や「宗教」という新しい意識や概念を産出するのです。

神は、誰のために在るのか

 こうした動きはまた、中世の絶対的な神の権威を大きく揺るがすことになりました。虚無の信仰という良く知られている言葉も使われるように、仏教は「神」を立てない宗教として理解され、一神教的な世界観を揺るがす精神伝統と見做されることになります。




 当時の西洋の人々による信仰の合理性を重視した仏教解釈は、かなり偏った理解ではありましたが、キリスト教の非合理性を乗り越えた近代的信仰の可能性を示す思想として多くの知識人に注目されました。また、苦に満たされた世界からの解放を説く仏教思想は、ショーペンハウアーニーチェといった人たちの哲学的思考に、大きな影響を及ぼすことになります(ペシミズム)




 さらには、ルネサンス以来の合理的精神の称揚は、神が支配する世界の秩序を人間の理性の働きによって解明しようとする科学者たちを生みだしました。アイザック・ニュートンのような、いわゆる「理神論」者たちは自然科学の発見の成果の先に、神の実在を証明しようとしました。

 しかし、皮肉なことに彼らの営みは、世界が神の意志とはまったく別に形成されていることを証明することになります。望遠鏡によって観察された月には、神々やウサギは住んでいませんでした。これまで、神によって定められた運命や悪霊の仕業と考えられていた疫病は、顕微鏡を使わないと発見できない微小なウイルスによって引き起こされていることが発見されます。

 宇宙の中心は地球ではなく、地球は太陽の周囲をめぐっている一惑星にすぎないし、それどころか太陽系さえも、銀河の片隅の小さな星の集まりに過ぎないのです。神の意志によって支配される宇宙という「目的論的な自然観」は次第に崩れ去って、宇宙は意思なき物体の延長に過ぎないという「機械論的な自然観」が一般化していきました。こうした新しい自然観もまた、「宗教」という概念と「宗教学」という学問の登場と深く関わるある種の「他者」だと言えるでしょう。

 こうした、新しい思想状況のもとで、ユマニスト/ヒューマニストと呼ばれた人文主義者たちのなかから、キリスト教の信仰の絶対性に固執するのではなく、あらゆる宗教の可能性を認める万教帰一的な思想が生まれてきます。なかでもよく知られているのは「ユニテリアン」ですが、これは次週以降の講義の中で詳しく説明します。

 このほか、神への信仰の絶対性や中世の権威主義的な社会のあり方に意義をとなえるユマニストたちの自由な発想が、16世紀のキリスト教の改革運動/宗教改革を促していくことも重要です。救いの確証はSola fide(信仰のみ)によって義認されるという、プロテスタントと総称される彼らの改革運動を通して、神の権威によって支えられていた中世の文化や社会のシステムは大きく変化していくことになりました。

 こうした文明の転換期において、理性による思考の普遍性を強調し、理性を神に代わる判断基準と見做す啓蒙思想が展開され、17世紀~18世紀の西洋思想の主流になっていきます。ルネ・デカルトが強調したような、人間理性の神の権威に対する優位性は、神中心の世界の秩序を人間中心の世界観に組み替えていく原動力になりました。毎年、ここでデカルトの話をかなり長くするのですが、このブログでは割愛しておきます。

宗教の起源/本質の探究へ

 神の権威よりも理性の判断力を重視する啓蒙的精神のもとで、「宗教」ないしは神への信仰の意味も改めて問い直されることになりました。ここではヒュームカントの二人を紹介しておきます。




 ヒュームは、イギリスの経験哲学を徹底するなかで、全面的な理性への信頼を離れて、むしろ懐疑的な立場をとり、宗教と道徳の起源を理性ではなく、むしろ感性(情念や想像力)に見ようとします。人が神の存在を求めるのは、恐怖心や不安感などの感性的な欲求のためなのであって、自然科学の探究の先に神の創造した世界の秩序を明らかにすることなどできないとして、理神論者たちの営みを一蹴しました。

 さらに、ヒュームの徹底的な懐疑論をもとにして、カント科学的事実と宗教的・道徳的真理を完全に二分し、世界の神秘を解明する自然科学の営みは、神の存在や道徳的な価値の追求とは、まったく異なる営みであると見做します。

 これによって、自然科学が解明する問いへの答えは、人生の問いへの答えとは異質なものであることが明確にされました。自然科学の探究する真理は、道徳や宗教の真理とは一線を画するものなのです。人生の意味は、科学的に解明できる真理ではありません(コペルニクス的転回)

 こうして、神の存在を科学的に解明するのではなく、宗教を人間の営みと見做して、その本質を探究する新たな学問が要請されることになります

➡自然の営みの探究と人間の営みの探究・・・心理学/社会学/文化人類学/宗教学


宗教史の誕生/歴史的起源の探究

 また、仏教もキリスト教もイスラームも天理教も同じ宗教であるすれば、人間の営みとしての宗教の歴史的起源はどこにあるのか、といった問いが生まれます。「宗教史」という研究分野の登場です。

 これはイギリス史や日本史といった特定地域の歴史ではなく、人類史としての「世界史」を描く発想とよく似ています。宗教史という言葉自体が、さまざまな宗教の比較を前提とした言葉になりますので、英語の History of Religion は、日本語に翻訳されるときに、現在でも「宗教学」と訳されることがあります。




 こうした宗教史の営みでは、まずエルンスト・トレルチの名前を憶えておきましょう。彼はキリスト教史を神の意志の実現過程と見做すのではなく、さまざまな時代の地域社会や文化の影響を重視し、キリスト教史を人間の営みとして描いて、教会の権威を相対化しました。


 また、イエス・キリストの生涯を神の子の生涯ではなく、人間・イエスの伝記として描いたエルネスト・ルナン「イエス伝」などがよく知られています。啓蒙的な理性の光のもとでは、もはや神となった人の伝記や神の意志の実現過程としてのキリスト教史を描くことはできないのです。歴史は、人間の営みの集積と見做されることになりました。


 こうした、人間の営みとしての宗教の本質の哲学的探求と神の意志の実現の歴史ではなく、人間の営みとして宗教の歴史を記述する歴史意識が交差する場所において、「宗教学」という新たな学問が登場することになるのです。

 次回は、この新たな学問の創始者ないしは名付け親ともいうべき、フリードリッヒ・マックス・ミュラーの記念碑的な講演から、「宗教学」という学問の成り立ちを紹介します。

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2021年5月25日火曜日

宗教学概論1 第7回


宗教の心理学的研究

―ジェイムズからフロムまで―


*第1回からの授業をブログに順次公開しています。「ホーム」から閲覧できますので、試験等の準備に役立ててください。

 前回は、比較宗教学の実践的な影響について紹介しました。シカゴの万国宗教会議では、ゾロアスター教やジャイナ教のような日本ではあまり知られていない宗教伝統が加えられていますが、これらはマックス・ミュラーの東方聖典集に聖典が収められている宗教です。このあたりにも、マックス・ミュラーの比較宗教学の提唱が、この宗教会議に大きく影響していることを物語っています。

 マックス・ミュラーによって提起された、今日における「宗教」の存在意義に関する経験科学的・実証的研究の必要性は、同時代の多くの人々に共有されて、過去150年ほどの間に、多彩な経験的で実証的な宗教研究の営みが積み重ねられてきました。




 まず、宗教研究と心理学を結びつけた研究では、心理学の研究成果から「人はなぜ宗教を必要とするのか」といった問いがたてられる一方で、人生における宗教の役割が心理学的に見直されるような研究が行われます。

 宗教学とほぼ同時代に成立した新しい学問である社会学と宗教研究を連動させた成果では、人類に固有の複雑な社会の起源を宗教に求める研究に加えて、社会の変動や維持に寄与する宗教の機能に注目する研究が行われます。さらには、社会や心理とともに人間を理解するうえで欠かすことのできない、文化や生活習慣などの研究と宗教研究を結びつける分野では、宗教人類学や宗教民俗学と呼ばれるような研究分野が形成されます。

 マックス・ミュラーが最初に注目した言語の比較研究からは、比較神話学などの営みが生まれ、人類の文明の起源や世界の文明圏の比較研究につながっていきました。また、人間を問いの中心におく20世紀の哲学の動向からは、人間存在の本質と宗教を結びつける 宗教人間学や宗教現象学とよばれる研究分野が登場してきます。

 さらには、比較宗教学は特定の宗教伝統に偏らない人類の宗教史として「世界宗教史」を描くの営みにつながり、こうした近代的な宗教概念が一般化するなかで、諸宗教間の対話や世界各地の宗教文化の研究が進められてきました。近年では、人類史と宗教史を結合する立場から、進化心理学認知科学と連動した新しい宗教研究/人間研究の成果も現れてきています。

 この授業の後半は、これら20世紀の宗教研究の諸分野のなかで、せめて皆さんに名前やタイトルくらいは覚えてもらいたい有名な研究者古典的業績基本的な概念などを紹介していきます。

宗教研究と心理学

 まず、早い時期から注目されたのは、心理学的なアプローチでした。とくに信仰者に固有の心理的傾向や人々の精神生活における宗教の役割が多方面から分析されます。また、「人はなぜ、宗教を必要とするのか」といった問いについて、心理学的な分析から答えを導き出そうとする研究もなされます。

 これには宗教の役割をネガテイブに捉える立場とポジテイブに捉える立場があります。精神分析学のパイオニアであるジグムント・フロイトの研究は、前者の代表です。彼は有名な「幻想の未来」という著作のなかで、神への信仰を未来の人類が克服すべき強迫神経症の一種であると見なします。その一方で、同時代のウィリアム・ジェイムズは、フロイトと同じように深層心理の存在と重要性を認めながら、後で紹介するように宗教的経験の人格形成における極めてポジテイブな側面を強調しました。



 さらに宗教/信仰の人格形成における役割については、とくに神学者や何らかの宗教伝統に関係の深い研究者に広く歓迎されました。もし、宗教/信仰に青年期の人格形成に寄与し、不安定な精神状態を安定化させるような機能があることを経験的・実証的に証明できるのであれば、これからの時代においても宗教は消失するどころか、近代社会においても積極的な役割を果たせることになるでしょう。

 このため、初期における宗教の存在意義の経験的・実証的研究では、心理学と結びついた理論が広く展開され、ある時期宗教研究の主流となりました。

「回心」研究と宗教心理学

 紹介すべき研究はたくさんありますが、ここでは本当に古典的な業績だけを紹介しておきます。ただし、限られた時間で紹介できるのは簡単な概要だけなので、ぜひ図書館へ足を運び、自分で本を手に取ってください。

 まず、心理学的な宗教研究の分野で最初に注目されたのは、「回心(conversion)」という信仰者に特有の心理現象でした。この分野の古典的な業績は、1899年に刊行されたE.D.スターバック(Edwin Diller Starbuck/1866―1947)の『宗教心理学 (The Psychology of Religion)』(1899)です。

 本書は、宗教の心理学的研究の草分けというばかりでなく、質問紙法という実証的な意識調査の手法を宗教研究に導入した点においても、パイオニア的な研究になりました。現在では、さまざまなアンケート調査が多様な意識調査に使われています。しかし、この本は19世紀の終わりに出版されていることを忘れてはならないでしょう。当時としては、画期的な研究手法でした。




 スターバックは、まず①質問紙によって資料を収集し、集めた②資料を分析③分類し、そこから④一般的な傾向を見いだして、⑤意味を解釈する、という手法を使います。これは、完全に実証的な研究でしたが、アンケートの対象者は、自らの関わるメソジスト教会の教会員たちであり、回答数もかなり限られていました。現在のスタンダードからすれば、かなり偏った調査だと見なされるでしょう。

 それでも、彼がこの調査から導き出した、罪の意識→回心→新しい生という古典的モデルは、宗教の価値に疑問を持った当時の多くの人々に、大きなインパクトを与えます。教会に所属することは、少なくともそのメンバーにとっては大きな意味を持っており、教会での体験は彼らの人生を支えているという事実が「実証的」に明らかになったからです

 ➡実証的/証拠がある・・・近代的価値基準にもとづく宗教の評価

 こうした、現代人にとっての信仰の価値と役割をより明確に論じたのが、ウィリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相(The Varieties of Religious Experience)』(1902)です。この本は、以前に紹介したギフォード・レクチャーとして行われた講演の記録を後に出版したものです。




 ジェイムズの名前の日本語表記はいろいろですが、ここでは皆さんがこの本を検索するときに困らないように、岩波文庫版や全集の著者表記に従っておきます。スターバックと同じように、回心を中心にした信仰者に固有の心理現象に注目したジェイムズは、過去の著名なキリスト教の信仰者たちが書き残した手記を分析し、宗教的な「回心(conversion)」を引き起こす原因となる、無意識の領域の重要性に着目します。そして、その無意識に蓄積された経験の領域が、さまざまな宗教経験の根底にあると考えました。

 とくにジェイムズは、一度信仰的な懐疑に陥った人々が改めて信仰に目覚めるきっかけとなった出来事に注目します(2度生まれの信仰)。その多くは、神やすでにこの世を去ったはずの人と出会うといった、とても事実とは思えないような出来事です。しかし、これらの出来事には先行する心理的な蓄積があり、決して突然に経験した妄想や幻想ではなく、宗教経験自体に意味があるとジェイムズは考えます。

 また、神との一体化やずっとあとの時代にイエスと出会うというような突拍子もない出来事は、現実に起こった事実としてはあり得ません。しかし、実際にそれを経験した当事者にとってそれらの出来事は、しばしばその経験の前と後の人生を180度変えるような、大きな意味を持っていることをジェイムズは指摘します。

 たとえ、神との交信やすでにこの世を去ったはずの人との出会いの体験は、現実の出来事であることを証明できなくとも、そのような宗教的経験を経た人々の人生は、それ以前よりも遥かに内面的に豊かになり、他者を赦す寛容の精神に満たされ、人生のすべてのことに満足し、与えられた現状に感謝する新しいあり方に変わるのです。宗教的経験を経た人々に特徴的な、そのような精神的傾向のことをジェイムズは「聖者性」と呼びました。ジェイムズが聖者の性質として列挙している人格の傾向は、まさに理想的な人間のあり方であり、世界中の人々がこのような人間になれば、世界はきっと平和になり、誰もが穏やかに暮らせるようになる、と思わせてくれるものです。もし、宗教的“経験”によってこのような人格の統合と卓越した人格の形成が実現されるのであれば、宗教はこれからの時代の人々にとって必要とされるはずです。

 私自身は大学2年生の夏休みに、自転車で西日本一周の旅に出たときに、この本を旅の友として読破しました。宗教=個人の内面的信仰というジェームズの宗教論の前提には賛否両論ありますが、人はなぜ宗教/信仰を必要とするのか、という問いに見事に答えてくれている本書との出会いは、私自身の人生を変えてくれる「経験」になりました。文庫本ですので、図書館で借りるよりもぜひ皆さんの書棚に加えてもらいたい、古典中の古典というべき本です。

人格形成と宗教

 宗教経験が人格形成に及ぼす影響について、より具体的に研究したのはエリク・エリクソンです。フロイト派の発達心理学者であるエリクソンは、自身の人格の発展段階を図式化したライフサイクル・モデルを宗教改革の指導者であったマルテイン・ルターの生涯にあてはめて、アイデンティの危機を乗り越えて、自己を確立する段階にある思春期・青年期の人格形成において、信仰の果たす役割に注目します。




 とはいえ、エリクソンの関心は人格の形成段階の一般理論であって、そこでの宗教/信仰の役割の分析はそれほど重視されてはいません。ルターという宗教史上の重要人物を扱う著作があるだけで、宗教研究がエリクソンの心理学研究の中核にあるとは言えないでしょう。

心理学的アプローチの可能性

 初期の宗教研究において、宗教的経験が人々の豊かな人格形成に寄与できることを明らかにする、心理学的アプローチは大きな意味を持ちました。しかし、人格の形成や精神の安定は、必ずしも宗教/信仰だけがもたらすものではありません。精神分析学臨床心理学の発達によって心理学がより医学の方へ接近するとともに、宗教の心理学的な研究は宗教研究の主流からは外れていきます。

 また、最初に紹介した「宗教心理学」の著者であるスターバックの著作に明らかなように、これらの心理学的研究はかなり宗教擁護の傾向が強いものであったため、精神分析学や臨床心理学が客観的な学問として成立するようになると、宗教/信仰の価値を無条件に強調するような研究は、恣意的で主観的なアプローチとして敬遠されるようになります。

 しかし、近年になって認知科学の発達と結びついた新しいアプローチが登場していますので、むしろこれから新たな展開が見られるかも知れません。さらには、今回は紹介できなかったユングフロムのような心理学者の研究は、文化研究や社会学と結びついた文化論現代社会・文明論につながっていきます。これらについては、また次の時間に紹介しましょう。

 理解を深めたい人は、このブログの内容を確認したうえで下記のURLにアクセスし、グーグルフォームの質問に答えてください。

https://forms.gle/ZUM9jRQa5PVkrgr88


*前回のグーグルフォームへの質問に答えておきます。

①光が闇ではなく、薄明とともにある、という場合の「光」は「正しい信仰」という意味です。「闇」は誤った信仰や思想のことでしょう(暴力的な思想が、宗教の装いをまとうこともあります)。また、バローズにとって真正の「光」はキリスト教であり、キリスト教ほどではないけれども闇ではない「薄明」として、他の宗教思想を評価しています。キリスト教=太陽の光、他宗教=室内の電灯といった感じでしょうか。

 現在では、このようなキリスト教至上主義の比較宗教の姿勢は批判的に検証され、もっと中立的な研究姿勢が採られるようになっています。

②授業のノートは、自分で工夫してください。学期末試験は、対面で暗記式の試験を予定しています。

2021年5月22日土曜日

宗教学概論1 第5回


マックス・ミュラーとギフォード・レクチャー

―宗教学の黎明―

 前回の講義では、フリードリッヒ・マックス・ミュラー1870年に、ロンドンの王立学問所で行った講演を紹介しました。Science of Religion という水と油をくっつけるような刺激的な表現を使って、経験的で合理的な宗教研究の必要性を訴え、「一つの宗教しか知らない者は、宗教については何も分かっていない」といった効果的なレトリックを使って紹介された比較宗教学の手法は、産業革命の恩恵を受け、科学技術の発展に希望と信頼を寄せていたヴィクトリア朝時代のロンドンの人々に広く受け入れられていきます。

 ミュラーが Introduction to the Science of Religion(邦題:『宗教学概論/序説』)において強調した、「新たな光」のもとで研究された「これまでとまったく異なる」研究―宗教の科学(経験的・実証的な宗教研究)や宗教の比較研究のこと―は、宗教の今日的な存在意義に関する新しい説明体系を創りだすことになります。

 とくにミュラーが提唱した、諸宗教の比較(言語学)による「宗教」の本質の探究という手法は、啓蒙主義の時代を経て他者の信仰や人権に敏感になっていた人々に歓迎されました。人権の尊重信教の自由は、今日の世界はほとんど常識のようになっていますが、150年前はまだ先進的で画期的な考え方でした。

 とはいえ、ミュラーの発想は決して独創的と言えるようなものではなく、むしろタイムリーで時代のトレンドに即したアイデアでした。だからこそ、当時の人々に広く訴えることができたのです。



 さらには、合理性・客観性・実証性「正しさ」の基準となる世界では、宗教の存在意義についても合理的・客観的・実証的に説明する必要がある、というミュラーの提言もまた、すでに近代化された世界に投げ入れられ、進化論に代表されるような近代科学の知見によって聖書の神聖な権威が脅かされる状況にあった、ロンドンの人々の心を大きく動かすことになりました。

 ミュラーは、その後オックスフォード大学において、彼のために設置された「比較文献学(comparative philology)」の教授職を得るとともに、比較宗教学の提唱者として名声を博するようになります。マックス・ミュラーの記念碑的著作は、早い時期に日本語に翻訳されますが、長い間比屋根安定の古い翻訳が定番になっていました。ようやく近年になって新しい翻訳が刊行されました。格段に読みやすくなっていますので、ぜひ手に取ってみてください。





ミュラーとギフォード・レクチャー

 マックス・ミュラーの提唱した「宗教の科学」「比較宗教研究」は、さまざまな方面に大きな影響を及ぼしていきます。その一つが、ミュラーの講演の後に始まったギフォード講義(Gifford Lectures)です。この講義は、イギリス・スコットランド地方の諸大学が合同で主宰している「自然神学」についての連続講座です。130年以上の歴史があり、現在も続いています。

 哲学や文学に関心のあったスコットランドの法律家、アダム・ロード・ギフォード(1820-1887, Adam Lord Gifford)の遺志と莫大な寄付金によって、1885年に始まりました。マックス・ミュラーの記念碑的な講演は1870年ですから、15年後のことになります。

 自然神学の研究を広く発展・流布させるために始まったこの講座では、開催当初から英語圏を中心に、超一流の神学者や哲学者、科学者による講義が行われてきました。科学技術の発達を反映して、近年では歴史学者や科学哲学者なども講座を担当しています。これまで講座を担当した人々の名前を確認すれば、誰でもこの講座の価値が分かります。まさに宗教と科学に関する人類の英知が結集された講座であると言うべきでしょう。

 この授業でも後に紹介する、ウイリアム・ジェームズの『宗教的経験の諸相』という、宗教学の学説史に欠くことのできない重要な業績も、ギフォード講義の内容を出版したものです。



 マックス・ミュラーは、開始早々の1888年から1892年にギフォード講座に招かれ、4期に渡って講義を担当します。大学の教員や一般人を含む受講者は、1,000人を超えていた言われています。この一連の講義のなかで、マックス・ミュラーは宗教の比較研究と経験的・実証的な宗教研究の大まかな道筋を示しました。



 まず、Anthropological Religion と題する講座です。ここでは、後の授業との関連を考慮して「宗教人類学」と訳していますが、実際には「人類の存在から見た宗教」といった内容でした。「人間とは何か」という問いと「宗教とは何か」といった問いが結び付けられることで、なぜ宗教が人類の歴史とともに存在し、必要とされてきたのかが問われます。

 人間は動物の一種であったとしても、言語をベースにした高度な文化や複雑な社会を発展させてきた存在でもあります。そして、人間の文化や社会と宗教は切り離すことはできません。こうして、人間の特徴的な営みの一つである宗教に、新たな目が向けられることになります。

 また、Natural Religion, vol. 1・Natural Religion, vol. 2 (「自然宗教」①・②)と題する講座では、ギフォード講義のもっとも中心的な話題である「自然宗教」についての議論がなされます。

 ここで「自然宗教」というのは、いわゆる自然崇拝のことではありません。ミュラーは、最初の王立学問所の講義の段階から、自然崇拝の迷信的な要素についてはかなり否定的でした。ここでの Natural はむしろ人間の本性のことであり、「人間の本質とは何か」という問いが、宗教を通して考察されます。

 人間の本性と宗教が深く関わっているとすれば、人間であること宗教的であることは切り離すことはできなくなります。通常の講義では、少し余談を交えて長く説明する所なのですが、これは別な機会にしましょう。

 次の Physical Religion は、宗教の現実と訳しました。宗教的な信念はしばしば抽象的であり、神や天国や地獄などの存在は、私自身やその私が住んでいる町、通っている学校や職場のように具体的な存在ではありません。

 しかし、同じ信仰を共有する人たちの組織(教団)や儀式などは具体的な行為です。礼拝の対象となる存在も多くの場合に実在します。こうした具体的な側面の調査や研究は、当然社会学文化人類学などの成果と連動して研究することが可能です。

 さらには、Theosophy or Psychological Religion(神智学と宗教心理学)という興味深い講義も行っています。ブラヴァツキーオルコットなどの人々によって提唱され、現在のニューエイジやオカルト思想などに影響を及ぼした神智学は、130年前はかなり真面目な学問として市民権を得ていました。

 なぜなら、いわゆる人間の「精神(こころ)」についての研究は、まだそれほど進んでいなかったからです。ジグムント・フロイト「精神分析学入門」を刊行するのは、次の20世紀になってからのことです。ただ、人間心理の分析によって、なぜ私たちに宗教が必要なのか、と問いかける姿勢は重要です。 


マックス・ミュラーと「宗教学」の展開

 それでは、マックス・ミュラーの最初の講演やギフォード講義の内容を踏まえて、ミュラーが構想していた「宗教学」について、その後の展開と関連づけながら簡単に整理してみましょう。



 まず、人間学としての宗教学は、社会学・人類学との接点へつながります。神智学と心理学は、宗教の今日的価値の経験的・実証的説明に新たな方向性を与えます。比較言語学を出発点とする、神話学や文化人類学として発展する宗教研究は、今日では宗教研究の主流を形成しています。

 自然神学と自然宗教の概念に影響された、人間の知的営みと信仰の価値についての言及は、新しい哲学の動向と結びつきながら、「宗教学」という固有の学問の成立につながっていきました。また、進化論を前提にした全人類の宗教史と諸宗教の比較研究の展望は、諸宗教の具体的な対話への道を開くことになりました。

 こうして、マックス・ミュラーが構想した、宗教の比較研究と経験的・実証的な宗教研究は、同時期に登場してくる心理学や社会学、民俗学や人類学、といった新しい学問や人間を探求の中心に据えた近代哲学の新たな動向などと連動して、その後150年近くに亘って多彩な展開をしていくことになります。

 この際に前提とされているのは、マックス・ミュラーによって提起された、以下のような学問の前提です。

A.今日における「宗教」の存在意義に関する、経験的で実証的な研究と説明の体系。

「宗教の科学/宗教学とは、どのような学問なのか」という問いに対するこの答えは、その後の宗教学の営み全体に共有されていく、基本的な姿勢になります。

 今日では、マックス・ミュラーが当時の比較文献学言語学の知見を駆使して、宗教の比較研究や経験的・実証的研究として提起した理論や研究事例の多くは、もはや経験的・実証的研究としての価値を認められなくなりました。

 研究の進展によって古い理論が忘れ去られていくことは、宗教学も経験科学の一つである以上は仕方のないことです。しかし、150年前に提起された「宗教の今日的価値の経験科学的研究という視座」の重要性は、今日になっても変わりません。なぜなら、今日における「宗教」の存在意義に関する、経験的で実証的な研究と説明の体系は、その当時以上に現在の私たちに必要とされているからです。

 とくに宗教学科で学ぶ人たちは、世界の優れた知性たち今日における宗教の存在意義について深く考えてきた思索の蓄積を学ぶことは重要でしょう。これから学んでいく宗教学の多彩な学説をもとに、自分自身で「なぜ、現在の私たちにとって宗教は必要なのか」という問いに、自分なりの答えを見いだしてください。

*言語学を中核とした「宗教の科学」の確立という、ミューラーのプロジェクト自体は瓦解したが、「宗教の今日的価値の経験科学的な研究」というミュラーが開いた研究の道は、現在の多様な宗教研究に踏襲されている。

 理解を深めたい人は、このブログの内容を確認したうえで下記のURLにアクセスし、グーグルフォームの質問に答えてください。

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