2021年5月30日日曜日

宗教学概論1 第3回


「宗教」から「宗教学」へ

 前回の授業では、主に西洋の文明圏において、さまざまな「他者」との出会いが中世の絶対的な神の権威を揺るがし、社会や文化、人々の生活様式にまで及ぶ広範な変化をもたらした過程について紹介し、中世から近代への移行期に、「人間」や「人類」といった意識とともに、仏教もキリスト教もイスラームも天理教もみな「宗教」である、といった新たな概念が登場してくる歴史的背景について学びました。

「ルネサンス」「十字軍」といった言葉を覚えていますか。必要な人は、もう一度前回のブログを確認してください。

「他者」との出会いと「宗教」

 「宗教」という新しい概念の登場と深く関わる「他者」との出会いのなかで、まず最初に紹介したのは「十字軍」の侵攻と駐留による東西文明の交流でした。ここで「東西」という場合の「東」は、オリエントと呼ばれたイスラームの支配圏のことです。

 神の意志によって組織されたはずの「十字軍」の遠征は、初期にはかなり成功をおさめますが、次第に西側の形勢が悪くなりました。また、イスラーム圏に十字軍の遠征による支配地域が確立されていくなかで、東西文明の交流が深まり、中世の絶対的な神権秩序は揺らいでいきます。

 そうしたなかで、イスラーム文化圏において広く受容されていた古代ギリシャやローマの思想や知識への回帰がおこります。ルネサンスと呼ばれた古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動は、14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まりました。そして、古典古代の人文主義の復興が謳われるなかで、中世の神中心の文明は、次第に人間中心の文明に移行していくことになります。物事を判断する正しさの基準もまた、聖書の権威から人間の理性の判断へ移っていくことになりました。




 さらには、大航海時代の始まりによって世界地図に記載される世界はさらに拡大し、インドや中国のスパイスや陶器を求めて多くの人々が大海に漕ぎ出す時代になり、仏教儒教などの高度な精神文明の存在が西洋でも広く知られるようになります。

 インドや中国の精神文明は、西洋の人々が知っていたユダヤ教、キリスト教、イスラームなどのセム系一神教―旧約聖書に登場する神を崇拝対象にするために、しばしば「アブラハムの宗教」とも呼ばれる―とは全く異質な精神文明であり、しかも西洋のキリスト教よりも古く長い時間をかけて蓄積された伝統を有していました。こうした「他者」との出会いもまた、キリスト教中心の中世の文明秩序を揺るがす要因の一つになっていきます。

 さらには、「世界」が周航されることによって、肌の色や言語の違い、社会体制や文化習慣の違いにもかかわらず、地球上に存在する人間は同じ人類であって、それぞれの人間の生命と人間としての尊厳は、平等に尊重しなくてはならない、といった意識が芽生えてきます。

 現在では、地球上に存在する様々な民族や人種の違いは、遺伝子情報の面ではほんの些細な差異でしかないことが科学的に解明され、地球上の現生人類はほぼ同じ人間であるということが常識になっています。しかし、こうした意識が世界中に浸透するまでには長い時間がかかりましたし、いま現在も起こっている地域紛争や差別的行為などを見る限り、地球上の人類はみな同じ人間である、という意識が広く世界に浸透するのには、まだ時間がかかるような気がします。

 とはいえ、この時期に生まれた人類という意識は、キリスト教以外の他者の信仰もまた、「宗教」として尊重しなければならない、という意識を促すことになります。他者が信仰する神は、自分たちが信仰する神と同じように、その人たちの人生に価値を与え、生きることに意味を与えている限りにおいては、自分たちの信仰と同じように尊重しなくてはならない。

 自分たちの信じる教えばかりでなく、他者の信仰も「宗教」として尊重するという姿勢は、人種や言語などのさまざまな差異にもかかわらず、地球上に存在する人類はみな同じ人間である、といった意識と分かちがたく結びついています。ある意味では、コインの表裏のような関係であると言えるでしょう。

 新大陸・新世界(科学的世界像)・異文化・古典/古代・個人の信仰、といった「他者」との出会いが「人間」や「宗教」という新しい意識や概念を産出するのです。

神は、誰のために在るのか

 こうした動きはまた、中世の絶対的な神の権威を大きく揺るがすことになりました。虚無の信仰という良く知られている言葉も使われるように、仏教は「神」を立てない宗教として理解され、一神教的な世界観を揺るがす精神伝統と見做されることになります。




 当時の西洋の人々による信仰の合理性を重視した仏教解釈は、かなり偏った理解ではありましたが、キリスト教の非合理性を乗り越えた近代的信仰の可能性を示す思想として多くの知識人に注目されました。また、苦に満たされた世界からの解放を説く仏教思想は、ショーペンハウアーニーチェといった人たちの哲学的思考に、大きな影響を及ぼすことになります(ペシミズム)




 さらには、ルネサンス以来の合理的精神の称揚は、神が支配する世界の秩序を人間の理性の働きによって解明しようとする科学者たちを生みだしました。アイザック・ニュートンのような、いわゆる「理神論」者たちは自然科学の発見の成果の先に、神の実在を証明しようとしました。

 しかし、皮肉なことに彼らの営みは、世界が神の意志とはまったく別に形成されていることを証明することになります。望遠鏡によって観察された月には、神々やウサギは住んでいませんでした。これまで、神によって定められた運命や悪霊の仕業と考えられていた疫病は、顕微鏡を使わないと発見できない微小なウイルスによって引き起こされていることが発見されます。

 宇宙の中心は地球ではなく、地球は太陽の周囲をめぐっている一惑星にすぎないし、それどころか太陽系さえも、銀河の片隅の小さな星の集まりに過ぎないのです。神の意志によって支配される宇宙という「目的論的な自然観」は次第に崩れ去って、宇宙は意思なき物体の延長に過ぎないという「機械論的な自然観」が一般化していきました。こうした新しい自然観もまた、「宗教」という概念と「宗教学」という学問の登場と深く関わるある種の「他者」だと言えるでしょう。

 こうした、新しい思想状況のもとで、ユマニスト/ヒューマニストと呼ばれた人文主義者たちのなかから、キリスト教の信仰の絶対性に固執するのではなく、あらゆる宗教の可能性を認める万教帰一的な思想が生まれてきます。なかでもよく知られているのは「ユニテリアン」ですが、これは次週以降の講義の中で詳しく説明します。

 このほか、神への信仰の絶対性や中世の権威主義的な社会のあり方に意義をとなえるユマニストたちの自由な発想が、16世紀のキリスト教の改革運動/宗教改革を促していくことも重要です。救いの確証はSola fide(信仰のみ)によって義認されるという、プロテスタントと総称される彼らの改革運動を通して、神の権威によって支えられていた中世の文化や社会のシステムは大きく変化していくことになりました。

 こうした文明の転換期において、理性による思考の普遍性を強調し、理性を神に代わる判断基準と見做す啓蒙思想が展開され、17世紀~18世紀の西洋思想の主流になっていきます。ルネ・デカルトが強調したような、人間理性の神の権威に対する優位性は、神中心の世界の秩序を人間中心の世界観に組み替えていく原動力になりました。毎年、ここでデカルトの話をかなり長くするのですが、このブログでは割愛しておきます。

宗教の起源/本質の探究へ

 神の権威よりも理性の判断力を重視する啓蒙的精神のもとで、「宗教」ないしは神への信仰の意味も改めて問い直されることになりました。ここではヒュームカントの二人を紹介しておきます。




 ヒュームは、イギリスの経験哲学を徹底するなかで、全面的な理性への信頼を離れて、むしろ懐疑的な立場をとり、宗教と道徳の起源を理性ではなく、むしろ感性(情念や想像力)に見ようとします。人が神の存在を求めるのは、恐怖心や不安感などの感性的な欲求のためなのであって、自然科学の探究の先に神の創造した世界の秩序を明らかにすることなどできないとして、理神論者たちの営みを一蹴しました。

 さらに、ヒュームの徹底的な懐疑論をもとにして、カント科学的事実と宗教的・道徳的真理を完全に二分し、世界の神秘を解明する自然科学の営みは、神の存在や道徳的な価値の追求とは、まったく異なる営みであると見做します。

 これによって、自然科学が解明する問いへの答えは、人生の問いへの答えとは異質なものであることが明確にされました。自然科学の探究する真理は、道徳や宗教の真理とは一線を画するものなのです。人生の意味は、科学的に解明できる真理ではありません(コペルニクス的転回)

 こうして、神の存在を科学的に解明するのではなく、宗教を人間の営みと見做して、その本質を探究する新たな学問が要請されることになります

➡自然の営みの探究と人間の営みの探究・・・心理学/社会学/文化人類学/宗教学


宗教史の誕生/歴史的起源の探究

 また、仏教もキリスト教もイスラームも天理教も同じ宗教であるすれば、人間の営みとしての宗教の歴史的起源はどこにあるのか、といった問いが生まれます。「宗教史」という研究分野の登場です。

 これはイギリス史や日本史といった特定地域の歴史ではなく、人類史としての「世界史」を描く発想とよく似ています。宗教史という言葉自体が、さまざまな宗教の比較を前提とした言葉になりますので、英語の History of Religion は、日本語に翻訳されるときに、現在でも「宗教学」と訳されることがあります。




 こうした宗教史の営みでは、まずエルンスト・トレルチの名前を憶えておきましょう。彼はキリスト教史を神の意志の実現過程と見做すのではなく、さまざまな時代の地域社会や文化の影響を重視し、キリスト教史を人間の営みとして描いて、教会の権威を相対化しました。


 また、イエス・キリストの生涯を神の子の生涯ではなく、人間・イエスの伝記として描いたエルネスト・ルナン「イエス伝」などがよく知られています。啓蒙的な理性の光のもとでは、もはや神となった人の伝記や神の意志の実現過程としてのキリスト教史を描くことはできないのです。歴史は、人間の営みの集積と見做されることになりました。


 こうした、人間の営みとしての宗教の本質の哲学的探求と神の意志の実現の歴史ではなく、人間の営みとして宗教の歴史を記述する歴史意識が交差する場所において、「宗教学」という新たな学問が登場することになるのです。

 次回は、この新たな学問の創始者ないしは名付け親ともいうべき、フリードリッヒ・マックス・ミュラーの記念碑的な講演から、「宗教学」という学問の成り立ちを紹介します。

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