*第1回からの授業をブログに順次公開しています。「ホーム」から閲覧できますので、試験等の準備に役立ててください。
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前回は、比較宗教学の実践的な影響について紹介しました。シカゴの万国宗教会議では、ゾロアスター教やジャイナ教のような日本ではあまり知られていない宗教伝統が加えられていますが、これらはマックス・ミュラーの東方聖典集に聖典が収められている宗教です。このあたりにも、マックス・ミュラーの比較宗教学の提唱が、この宗教会議に大きく影響していることを物語っています。
マックス・ミュラーによって提起された、今日における「宗教」の存在意義に関する経験科学的・実証的研究の必要性は、同時代の多くの人々に共有されて、過去150年ほどの間に、多彩な経験的で実証的な宗教研究の営みが積み重ねられてきました。
まず、宗教研究と心理学を結びつけた研究では、心理学の研究成果から「人はなぜ宗教を必要とするのか」といった問いがたてられる一方で、人生における宗教の役割が心理学的に見直されるような研究が行われます。
宗教学とほぼ同時代に成立した新しい学問である社会学と宗教研究を連動させた成果では、人類に固有の複雑な社会の起源を宗教に求める研究に加えて、社会の変動や維持に寄与する宗教の機能に注目する研究が行われます。さらには、社会や心理とともに人間を理解するうえで欠かすことのできない、文化や生活習慣などの研究と宗教研究を結びつける分野では、宗教人類学や宗教民俗学と呼ばれるような研究分野が形成されます。
マックス・ミュラーが最初に注目した言語の比較研究からは、比較神話学などの営みが生まれ、人類の文明の起源や世界の文明圏の比較研究につながっていきました。また、人間を問いの中心におく20世紀の哲学の動向からは、人間存在の本質と宗教を結びつける 宗教人間学や宗教現象学とよばれる研究分野が登場してきます。
さらには、比較宗教学は特定の宗教伝統に偏らない人類の宗教史として「世界宗教史」を描く営みにつながり、こうした近代的な宗教概念が一般化するなかで、諸宗教間の対話や世界各地の宗教文化の研究が進められてきました。近年では、人類史と宗教史を結合する立場から、進化心理学や認知科学と連動した新しい宗教研究/人間研究の成果も現れてきています。
この授業の後半は、これら20世紀の宗教研究の諸分野のなかで、せめて皆さんに名前やタイトルくらいは覚えてもらいたい有名な研究者や古典的業績、基本的な概念などを紹介していきます。
宗教研究と心理学
まず、早い時期から注目されたのは、心理学的なアプローチでした。とくに信仰者に固有の心理的傾向や人々の精神生活における宗教の役割が多方面から分析されます。また、「人はなぜ、宗教を必要とするのか」といった問いについて、心理学的な分析から答えを導き出そうとする研究もなされます。
これには宗教の役割をネガテイブに捉える立場とポジテイブに捉える立場があります。精神分析学のパイオニアであるジグムント・フロイトの研究は、前者の代表です。彼は有名な「幻想の未来」という著作のなかで、神への信仰を未来の人類が克服すべき強迫神経症の一種であると見なします。その一方で、同時代のウィリアム・ジェイムズは、フロイトと同じように深層心理の存在と重要性を認めながら、後で紹介するように宗教的経験の人格形成における極めてポジテイブな側面を強調しました。
さらに宗教/信仰の人格形成における役割については、とくに神学者や何らかの宗教伝統に関係の深い研究者に広く歓迎されました。もし、宗教/信仰に青年期の人格形成に寄与し、不安定な精神状態を安定化させるような機能があることを経験的・実証的に証明できるのであれば、これからの時代においても宗教は消失するどころか、近代社会においても積極的な役割を果たせることになるでしょう。
このため、初期における宗教の存在意義の経験的・実証的研究では、心理学と結びついた理論が広く展開され、ある時期宗教研究の主流となりました。
「回心」研究と宗教心理学
紹介すべき研究はたくさんありますが、ここでは本当に古典的な業績だけを紹介しておきます。ただし、限られた時間で紹介できるのは簡単な概要だけなので、ぜひ図書館へ足を運び、自分で本を手に取ってください。
まず、心理学的な宗教研究の分野で最初に注目されたのは、「回心(conversion)」という信仰者に特有の心理現象でした。この分野の古典的な業績は、1899年に刊行されたE.D.スターバック(Edwin Diller Starbuck/1866―1947)の『宗教心理学 (The Psychology of Religion)』(1899)です。
本書は、宗教の心理学的研究の草分けというばかりでなく、質問紙法という実証的な意識調査の手法を宗教研究に導入した点においても、パイオニア的な研究になりました。現在では、さまざまなアンケート調査が多様な意識調査に使われています。しかし、この本は19世紀の終わりに出版されていることを忘れてはならないでしょう。当時としては、画期的な研究手法でした。
スターバックは、まず①質問紙によって資料を収集し、集めた②資料を分析・③分類し、そこから④一般的な傾向を見いだして、⑤意味を解釈する、という手法を使います。これは、完全に実証的な研究でしたが、アンケートの対象者は、自らの関わるメソジスト教会の教会員たちであり、回答数もかなり限られていました。現在のスタンダードからすれば、かなり偏った調査だと見なされるでしょう。
それでも、彼がこの調査から導き出した、罪の意識→回心→新しい生という古典的モデルは、宗教の価値に疑問を持った当時の多くの人々に、大きなインパクトを与えます。教会に所属することは、少なくともそのメンバーにとっては大きな意味を持っており、教会での体験は彼らの人生を支えているという事実が「実証的」に明らかになったからです
➡実証的/証拠がある・・・近代的価値基準にもとづく宗教の評価
こうした、現代人にとっての信仰の価値と役割をより明確に論じたのが、ウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相(The Varieties of Religious Experience)』(1902)です。この本は、以前に紹介したギフォード・レクチャーとして行われた講演の記録を後に出版したものです。
ジェイムズの名前の日本語表記はいろいろですが、ここでは皆さんがこの本を検索するときに困らないように、岩波文庫版や全集の著者表記に従っておきます。スターバックと同じように、回心を中心にした信仰者に固有の心理現象に注目したジェイムズは、過去の著名なキリスト教の信仰者たちが書き残した手記を分析し、宗教的な「回心(conversion)」を引き起こす原因となる、無意識の領域の重要性に着目します。そして、その無意識に蓄積された経験の領域が、さまざまな宗教経験の根底にあると考えました。
とくにジェイムズは、一度信仰的な懐疑に陥った人々が改めて信仰に目覚めるきっかけとなった出来事に注目します(2度生まれの信仰)。その多くは、神やすでにこの世を去ったはずの人と出会うといった、とても事実とは思えないような出来事です。しかし、これらの出来事には先行する心理的な蓄積があり、決して突然に経験した妄想や幻想ではなく、宗教経験自体に意味があるとジェイムズは考えます。
また、神との一体化やずっとあとの時代にイエスと出会うというような突拍子もない出来事は、現実に起こった事実としてはあり得ません。しかし、実際にそれを経験した当事者にとってそれらの出来事は、しばしばその経験の前と後の人生を180度変えるような、大きな意味を持っていることをジェイムズは指摘します。
たとえ、神との交信やすでにこの世を去ったはずの人との出会いの体験は、現実の出来事であることを証明できなくとも、そのような宗教的経験を経た人々の人生は、それ以前よりも遥かに内面的に豊かになり、他者を赦す寛容の精神に満たされ、人生のすべてのことに満足し、与えられた現状に感謝する新しいあり方に変わるのです。宗教的経験を経た人々に特徴的な、そのような精神的傾向のことをジェイムズは「聖者性」と呼びました。ジェイムズが聖者の性質として列挙している人格の傾向は、まさに理想的な人間のあり方であり、世界中の人々がこのような人間になれば、世界はきっと平和になり、誰もが穏やかに暮らせるようになる、と思わせてくれるものです。もし、宗教的“経験”によってこのような人格の統合と卓越した人格の形成が実現されるのであれば、宗教はこれからの時代の人々にとって必要とされるはずです。
私自身は大学2年生の夏休みに、自転車で西日本一周の旅に出たときに、この本を旅の友として読破しました。宗教=個人の内面的信仰というジェームズの宗教論の前提には賛否両論ありますが、人はなぜ宗教/信仰を必要とするのか、という問いに見事に答えてくれている本書との出会いは、私自身の人生を変えてくれる「経験」になりました。文庫本ですので、図書館で借りるよりもぜひ皆さんの書棚に加えてもらいたい、古典中の古典というべき本です。
人格形成と宗教
宗教経験が人格形成に及ぼす影響について、より具体的に研究したのはエリク・エリクソンです。フロイト派の発達心理学者であるエリクソンは、自身の人格の発展段階を図式化したライフサイクル・モデルを宗教改革の指導者であったマルテイン・ルターの生涯にあてはめて、アイデンティの危機を乗り越えて、自己を確立する段階にある思春期・青年期の人格形成において、信仰の果たす役割に注目します。
とはいえ、エリクソンの関心は人格の形成段階の一般理論であって、そこでの宗教/信仰の役割の分析はそれほど重視されてはいません。ルターという宗教史上の重要人物を扱う著作があるだけで、宗教研究がエリクソンの心理学研究の中核にあるとは言えないでしょう。
心理学的アプローチの可能性
初期の宗教研究において、宗教的経験が人々の豊かな人格形成に寄与できることを明らかにする、心理学的アプローチは大きな意味を持ちました。しかし、人格の形成や精神の安定は、必ずしも宗教/信仰だけがもたらすものではありません。精神分析学や臨床心理学の発達によって心理学がより医学の方へ接近するとともに、宗教の心理学的な研究は宗教研究の主流からは外れていきます。
また、最初に紹介した「宗教心理学」の著者であるスターバックの著作に明らかなように、これらの心理学的研究はかなり宗教擁護の傾向が強いものであったため、精神分析学や臨床心理学が客観的な学問として成立するようになると、宗教/信仰の価値を無条件に強調するような研究は、恣意的で主観的なアプローチとして敬遠されるようになります。
しかし、近年になって認知科学の発達と結びついた新しいアプローチが登場していますので、むしろこれから新たな展開が見られるかも知れません。さらには、今回は紹介できなかったユングやフロムのような心理学者の研究は、文化研究や社会学と結びついた文化論や現代社会・文明論につながっていきます。これらについては、また次の時間に紹介しましょう。
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理解を深めたい人は、このブログの内容を確認したうえで下記のURLにアクセスし、グーグルフォームの質問に答えてください。
https://forms.gle/ZUM9jRQa5PVkrgr88
*前回のグーグルフォームへの質問に答えておきます。
①光が闇ではなく、薄明とともにある、という場合の「光」は「正しい信仰」という意味です。「闇」は誤った信仰や思想のことでしょう(暴力的な思想が、宗教の装いをまとうこともあります)。また、バローズにとって真正の「光」はキリスト教であり、キリスト教ほどではないけれども闇ではない「薄明」として、他の宗教思想を評価しています。キリスト教=太陽の光、他宗教=室内の電灯といった感じでしょうか。
現在では、このようなキリスト教至上主義の比較宗教の姿勢は批判的に検証され、もっと中立的な研究姿勢が採られるようになっています。
②授業のノートは、自分で工夫してください。学期末試験は、対面で暗記式の試験を予定しています。