前回の授業では、マックス・ミュラーが提唱した「今日における宗教の存在意義の経験的・実証的研究」は、ヴィクトリア朝時代のイギリスの人々に広く受け入れられたことを紹介しました。ミュラーは、この経験的・実証的な研究を当初は Science of Religion(宗教の科学)と呼んでいましたが、自然科学と切り離されるかたちで同時期に登場してきた社会学や心理学、文化人類学や言語学などの人間の営みに関する新しい学問分野と宗教学を連動させていくなかで、研究の方向性を変えていきます。
日本語ではこれらの分野は人文科学と呼ばれますが、英語では humanities なので science は含みません。アメリカの大学では、通常 Humanities とNatural science は明確に区別されています。日本でも高校で「理系」と「文系」に分かれます。人文科学は、文系のイメージでとらえると分かりやすいでしょう。ただし、これらは20世紀の新しい学問であることを知っておきましょう。というより、ウィリアム・ヒューウェルが Scientist(科学者)という言葉を歴史上初めて使用するのは、1833年のことですから、このころから宗教的な知識と自然科学的な知識と人文学的な知識が分かれはじめて、20世紀の知の体系が形成されてきたと言っても良いかも知れません。マックス・ミュラーは、その狭間の時代に生きた人でした。このため、最初は Science of Religion という言葉を用いながら、少しずつ新しい人文科学に接近していきます。
前回の講義で紹介したギフォード・レクチャーでは、19世紀末の学問の動向を踏まえて、人文科学と結びつけた宗教学の可能性について語っていました。簡単にまとめると次ようになるでしょう。
「宗教の科学」という刺激的な言葉ではじまった宗教学は、このあとは心理学や社会学、文化人類学などの新しい人文科学の動向と連動して広く展開していくことになりました。この講義の後半は、宗教心理学や宗教社会学といった、これらの諸分野における古典的な業績を紹介していきます。しかし、その前に少し寄り道になりますが、マックス・ミュラーの宗教学と比較宗教研究の提唱がもたらした「諸宗教間の対話」について紹介しましょう。
宗教学の諸分野のその後の展開以上に、諸宗教間の対話の可能性を開いたことは、比較宗教学の重要な功績の一つでした。
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マックス・ミュラーの諸宗教の比較研究と宗教の本質の探究という、新しい学問の提唱を受けて開催されたイベントのなかで、最も有名なものは「万国宗教会議(the World’s Parliament of Religions)」です。
米国シカゴ市で開催されたコロンビア万国博覧会(シカゴ万博)に合わせて、万国宗教会議(the World’s Parliament of Religions)が開催されたのは1893年のことです。白亜の殿堂を並べた「ホワイトシティ」を中心とする大博覧会は、約5カ月の期間中に2700万人を超える入場者を集めます。世界の歴史と文化の祭典であるこの博覧会には、人類の進化の過程を「展示」する極めて多彩な民族や文化の痕跡が集積されました。日本からも伝統的な日本建築と日本庭園が出品され、この日本庭園は現在もシカゴ大学のすぐ近くに残されています。
チャールズ・ダーウィンが『種の起源』と並ぶ主著の一つである『人間の由来』のなかで表明した、「人類の進化」の過程を見事に陳列するこの博覧会に連動して、博覧会の期間中に多くの国際会議が開催されました。さまざまな領域の専門家が世界から集まって、当時の国際問題やこれからの世界のあり方などが議論されるなかで、人類の歴史上はじめて、世界の諸宗教の代表者を一堂に会する「万国宗教会議(the World’s Parliament of Religions)」が開催されます。
この宗教会議が開催されていた、9月11日から27日までの17日間には、延べ15万人の聴衆が集まりました。当時の新聞報道などの記録を見ても、この会議の注目度が相当に高かったことが分かります。現在の感覚では、このような国際会議は珍しくないかも知れませんが、この会議が開催された130年ほど前の世界では、まったく画期的な出来事でした。
この宗教会議を開催するために組織された中央委員会の座長は、シカゴの第一長老派教会の主座であり、シカゴ大学教授でもあったジョン・ヘンリー・バローズ(一八四七~一九〇二)でした。アメリカのプロテスタント教会の代表者の呼びかけによって、世界の十大宗教 [キリスト教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、ゾロアスター教、イスラム教、仏教、神道、儒教、道教]の代表が集まりました(メッセージだけの参加もあり、宗教伝統によって濃淡あり)。日本からも仏教の各宗派や神道の代表者が参加しました。この授業の最後のほうで紹介しますが、この会議がきっかけになって日本でも比較宗教学への関心が高まることになります。
会期中には、世界の各地から多彩な宗教伝統の指導者が参集し、アメリカのメデイアからも高い関心が寄せられました。世界中から招聘された諸宗教の代表者たちは英語で講演して議論を重ねます。なかでも、ラーマクリシュナ・ミッションの創設者であるヴィヴェーカーナンダやスリランカの仏教復興運動の指導者、アナガーリカ・ダルマパーラの講演などは極めて高く評価され、インド思想を中心にした東洋思想ブームを生みだすことになりました。マックス・ミュラーの影響を受けて開催された、諸宗教の比較と対話によって宗教の本質を探究するこの宗教大会は、大きな成功をおさめます。マックス・ミュラー本人は、高齢の身でもあることから大会に参加できませんでしたが、大会に向けてメッセージを託しています。
万国宗教会議のオープニングでは、「世界十大宗教」を表現するために、コロンビアの鐘が一〇回鳴らされました。世界の「十大宗教」のカテゴリーは一定ではありませんが、この会議には、少なくとも形式上はキリスト教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、ゾロアスター教、イスラム教、仏教、神道、儒教、道教の代表が参加しています。同時に開催された多彩な宗教大会にも、世界中の諸宗教から多数の代表者が参加しました。つまり、「十大」宗教に限定せずに、もっとマイナーな宗教伝統の代表者も大会に参加したのです。たとえば、仏教の場合はスリランカの上座仏教の代表者ばかりでなく、日本の仏教の代表者も参加しましたし、日本仏教は各宗派の代表がそれぞれの立場で参加して発表しました。
この会議をきっかけにして、日本の諸宗派の関係者がアジア各地の仏教とは違う「日本仏教」という意識を共有したことには大きな意味がありましたし、キリスト教や他宗教を邪教視する意識が変わったことも大きな意味を持っていました。彼らは日本に帰国したあと、国内版の宗教者会議を開催し、諸宗教間の対話が進められることになります。
とはいえ、この段階での諸宗教の比較は、いまだキリスト教中心であったことは確かです。この大会における「比較宗教」の基本的な枠組みは、大会の主催者側を代表したバローズの挨拶にある、次のような言葉によく表されています。
「人類としての兄弟愛」の精神をもとに、世界の多彩な宗教伝統の相互理解を深めることを目的とした宗教会議は、予想以上の大成功を収めました。しかし、相互理解のための普遍的原理としてバローズが主張した人類愛や兄弟愛は、しばしばキリスト教の普遍的な真理と同一視され、会議自体もしばしばキリスト教の優越性を主張する方向で議論が進められます。このような比較宗教論の傾向は、この宗教会議の理念的支柱となったマックス・ミュラーの「比較宗教学」自体が孕んでいた課題でもありました。
今回は少し寄り道をして、マックス・ミュラーの提唱した「宗教学」の実践的な影響について話しましたが、次回以降の講義では、19世紀の後半に成立する「宗教学」という学問が、同時期に成立した新しい人文系諸学問と連携しながら、どのような成果を残してきたのか。それぞれの分野に即して古典的な業績を紹介していきまます。まず、最初は心理学と結びついた宗教の今日的価値に関する経験科学的研究を紹介します。その後、宗教社会学、宗教人類学、宗教言語学/神話学、宗教現象学/人間学といった諸分野における代表的な文献を紹介していきますので、研究者の名前や概念、本のタイトルなどをしっかり覚えるようにしてください。
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理解を深めたい人は、このブログの内容を確認したうえで下記のURLにアクセスし、グーグルフォームの質問に答えてください。
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*前回のフォームへ書き込まれた質問に答えておきます。
①ミュラーのギフォード・レクチャーは、一般向けの講演ではなく専門家向けの連続講義です。大学の講義科目をイメージしてください。
②「神学」と「宗教学」の違いを説明するのは簡単ではありませんが、「神学」は特定の宗教の教えを「信じる」ことを前提にして、その教えを信じることの意味を学問的に考えます。一方で「宗教学」は、特定の信仰に偏らずに「宗教」の意味を客観的・経験的に考察し、「宗教とは何か」という問いに向き合うことで、「人間とは何か」という問いへの答えを探求する学問です。この「人間とは何か」という問いには、「社会とは」、「文化とは」、「言語とは」、「心とは」etc. といった「人間」の本質と切り離せない対象への問いが不可分に結びついています。
「神学」と「宗教学」は本質的に異なりますが、それぞれの成果を相互に議論に取り入れることによって、どちらもその研究をより豊かなものにすることができます。