マックス・ミュラーと「宗教学」
「 他者」との出会いと「宗教学」
前回、前々回の授業では、中世ヨーロッパの社会が、自らの内側にも外側にも存在したさまざまな「他者」との出会いを通じて、自らのあり方を再確認し、新たな社会や文化のあり方を模索するなかで、神中心の中世の社会秩序は次第に崩れて、人間中心の新たな社会秩序が成立していく過程を紹介しました。
ここで登場してくる「人類/人間」という概念は、いわゆる「宗教」という概念とコインの表裏の関係にあります。肌の色や言語の違い、生活習慣や文化の違いを超えて、地球上に暮らす人々はみな同じ人間であり、すべての人の生命と尊厳は、平等に尊重されなくてはならない、という考え方とキリスト教も仏教もイスラームも天理教もみな「宗教」であり、それぞれの教えを信じる人々が大切にしている価値基準は、等しく尊重されなくてはならない、という考え方は切り離すことはできません。
ですから、基本的人権のなかでも最も尊重すべきものの一つに「信教の自由」が掲げられているのです。
こうした人間の自由と尊厳を啓蒙する思想運動が広がるなかで、「近代化」と総称される社会制度、文化、産業構造や生活様式などの根本的な変化が世界的規模で推進されると、人が神や何らかの超越的な価値の存在を信じること、つまり「信仰」が社会のなかで果たす役割やその意味が変わってきます。
前回紹介した、カント哲学の「コペルニクス的転回」では、「認識できるもの」と「認識できないもの」が明確に区分けされ、「認識できないもの」の代表である「神」の存在を否定するのではなく、これは人間が「認識できる」自然の現象や法則とはまったく異質な対象とされることになりました。
自然科学の発達の先に解明される神秘は、「神」ではなく解明されるべき自然現象なのです。だからカント以降の近代的な意識にとって、超自然現象や超常現象という言葉は、人知を超えた神秘ではなく、まだ解明されていない自然現象という意味になりました。
本来、人間の認識能力によって解明できる事柄を妄信することは、迷信として排除されることになります。蜃気楼は自然現象であって神の奇跡ではありませんし、火の玉はもしあったとしても、それは自然現象なのであって、もはや人の霊魂ではないのです。
とはいえ、こうした啓蒙的意識のもとでも、「神/真理」の存在自体が否定されたわけではありません。カントは、迷信と本当の信仰というべきものを区別しただけで、人間の行為としての信仰や道徳の価値については、むしろ積極的に評価していました。
啓蒙主義者たちは無神論者ではなく、人々の目を真実から逸らさせる迷信を排除し、正しい科学的・社会的価値を実現しようとした人たちです。
だから、近代化によって疫病の原因は悪霊ではなくウイルスであることが解明され、適切な医療行為によって多くの命が救われることになります。政治的支配者の権威は、神の意志や人の血筋によって決定されるものではないことが明らかにされ、権威主義的な王政が各地で解体します。そして、より有能で社会全体に利益をもたらせる人物が社会の代表として選出され、さらにその支配体制を人民が監視できる、民主主義や社会主義のような新しい社会のシステムがつくられました。
啓蒙主義者たちの理想とした世界の実現は、まだまだ先のことになりそう―社会主義と民主主義の対立のように―ですが、少なくとも彼らの提唱した価値判断の基準は、現代の世界の主流となっていることは間違いないでしょう。
こうしたなかで「宗教」は、人間の営みとして再評価され、神や超越的な真理の存在意義は、すでに否定された迷信的な役割とは、異なる次元に求められることになるのです。
たとえば、キリスト教の歴史は神の意志の実現の歴史ではなく人間の営みとして再考され、それぞれの時代や地域社会におけるキリスト教会の役割が問い直されることになりました。キリストを神の子ではなく、人間として描くエルネスト・ルナンの「イエス伝」などは、熱心な信仰者にとっては行き過ぎた行為のように見えたでしょうが、これも信仰の価値を人間の行為のレベルで再確認する営みでした。
こうした、新しい「宗教」概念の登場と啓蒙主義のもたらした人間中心の価値観が交差する場所で、新しい学問である「宗教学」が提唱されることになります。だから、かつて著名な宗教研究者であったグスタフ・メンシングは、主著の一つである「宗教とは何か」(邦題)のなかで、宗教学は「啓蒙の子」であると述べたのです。
宗教を人間の営みと見做すこの新しい学問の目指したのは、一つには①宗教の歴史的起源の探求、であり、もう一方では②人間の営みとしての宗教の本質の探究、でした。
そして、19世紀の終わりから現在まで、150年近く積み重ねられてきた営みの出発点となったのが、宗教学という学問の提唱者とされるフリードリッヒ・マックス・ミュラーの業績です。日本の宗教学説史は、日本の初期の宗教学者がマックス・ミュラーの影響を直接受けていることもあって、マックス・ミュラーの宗教学の提唱からはじまることが多いのですが、欧米の学説史では、やはり十字軍からルネサンス、大航海時代から啓蒙主義へといった中世世界からの脱却を出発点とすることが少なくありません。
代表的な著作では、Eric Sharp, Comparative Religion, A History.(1975)があります。残念ながら、この本の翻訳はありませんので、興味のある人は原著にチャレンジしてみてください。この授業の宗教学説史は、私自身がアメリカで長く学んだこともあって、かなりアメリカ流になっています。
マックス・ミュラーの比較宗教学
それでは、「宗教学」の創始者・提唱者とされるフリードリッヒ・マックス・ミュラーは、どのような人物だったのでしょうか。
フリードリッヒ・マックス・ミュラー(Friedrich Max Müller)(1823~1900)は、ドイツ系のインド文献学者、比較言語・比較宗教研究者として知られています。フランスのソルボンヌ大学において、ウジェーヌ・ビュルヌフのもとでサンスクリットを学び、後にオックスフォード大学教授となりました。
彼の編纂した『東方聖書(東方聖典叢書)』全50巻の刊行(1879~1894)は、アジアの諸宗教の聖典の英語翻訳を集成した先駆的な業績であり、ヒンドゥー教、仏教、道教、儒教、ゾロアスター教、ジャイナ教、イスラム教などの主要な聖典を収録しています。
これによって、欧米の人々にはほとんど知られていなかった東洋の精神文化が広く世界に知られることになりました。しかし、オックスフォードで教鞭を取るようになったミュラーは、専門であるサンスクリット語の教授職を得ることに失敗します。意気消沈したミュラーは、インド思想を研究することの意義をイギリス社会に宣伝する必要性を感じます。ここで強調されたのが、諸宗教の比較研究でした。キリスト教をより深く理解するためには、他の優れた宗教伝統との比較が必要だと主張したのです。
ミュラーが「宗教学」という言葉を使った有名な講演では、ゲーテの「一つの言語しか知らない者は、言語について何も知らないのである」という言葉をもじって、「一つの宗教しか知らない者は、宗教について何も知らないのである」と語って、比較宗教研究の重要性とインドや東洋の精神文化を学ぶことの価値を強調しました。さらに、ビクトリア朝時代のロンドン(電灯と地下鉄)では、人間中心主義や科学万能主義にもとづく否定的な無神論が台頭していました。そこに、ダ―ウインの進化論が拍車をかけます。
宗教は無益な迷信ではなく、これからの時代の人々にとっても価値があるとするならば、その価値はもはや権威主義的な主張ではなく、啓蒙的な理性のフィルターを通しても納得できるような、客観的で合理的な手法によって提示されなくてはならないのです。
このことをミュラーは、Science of Religion という独自の表現で訴えました。科学の発達によって宗教は駆逐される、と主張する人々が少なくない時代に、敢えて科学と宗教という、水と油のように考えられていた概念を結びつける議論をしたことが、多くの人々の関心を呼ぶことになります。
1870年(「おふでさき」のご執筆/1869年)に、ロンドンの王立学問所で行われた歴史的講演において、マックス・ミュラーは新しい宗教研究の必要性を訴えます。このなかで、ミュラーは自分の新しい企てについて、次のような説明をしています。
ある研究者がある教説を新たな光のもとで研究し、それがこれまで信じられてきたのとはまったく異なるものであると解説するとき、宗教的世界のうちにいる知識人たちは、古い単純な解決法には、もはや満足しなくなる。
ここで「新たな光」とされているのは、まさに「啓蒙の精神」でしょう。人間の理性にもとづく客観的で合理的な判断のもとで主張される提言でなくては、もはやビクトリア朝時代のロンドンの人々の心には届かないのです。
電灯がついて地下鉄が走る街の人々に、古い迷信は通用しません。もし、今日においても「何かを信じて生きること」に価値があるとすれば、その価値は、客観的・合理的な論理や実証的な根拠にもとづいて主張されなくてはならない。
「信じてみればわかる」といった前時代の権威的な姿勢は、もう通じないのです。そこでマックス・ミュラーは、「宗教学/宗教の科学」という新しい経験的で実証的な学問を提唱しました。
中世の暗黒時代のキリスト教や迷信は、宗教の本当の姿ではありません。戦争や偏見、差別の温床になったものは宗教の本質ではなく、むしろ宗教的な権威の誤用によるものでした。宗教の本質は争いや偏見を生むことではなく、むしろ平和や人々の共存を促進することです。
近代の人々がしばしば誤解している宗教のイメージは、主に中世の暗黒時代に形成されたものであり、古いキリスト教の外套を脱ぎ捨てて、宗教の本当の姿を知るためには、キリスト教ばかりでなく、キリスト教以外の宗教伝統にも目を向けて諸宗教を比較検討し、どの宗教にも共通する宗教の本質を明らかにする必要がある、とミュラーは主張しました。
そして、その比較検討の方法は、ミュラーの言葉を用いれば―科学/Science ―と呼べるような、経験的で実証的な学問でなくてはならないのです。なぜなら、現代の人々に「宗教」が存在することの価値と意義を納得してもらうためには、その主張は、啓蒙の光に照らしても正しさを主張できるような提言、つまり経験的・実証的に主張できる提言でなくてはならないからです。
Introduction to the Science of Religion と題して 1873年に刊行されたこの講演の内容は、現在ではほとんど顧みる人はいなくなりました。この講演でミュラーが「科学的」な研究方法、すなわち経験的・実証的な学問として提起した比較宗教研究は―アーリア系とセム系の宗教の分類などを除いて―現在ではあまり経験的でも実証的でもないと考えられています。
しかし、これからの時代の人々に宗教の存在意義を納得してもらうためには、宗教の価値について経験的・実証的に説明しなければならない、というマックス・ミュラーの問題提起は、その後150年近い時間のなかで、世界中の多くの宗教研究者が積み重ねてきた宗教学という学問の営みに共有されています。
神の存在を科学的に証明することはできませんが、神や超越的な価値の存在を信じて生きることの意味については、経験的・実証的に検証することができます。なぜなら、何かを信じて生きること/信仰は、人間の営みだからです。
このため、宗教学は同時期に登場する人間の営みに関する新しい学問、すなわち心理学や社会学、文化人類学や20世紀の新しい哲学の動向などともに発展していくことになりました。これらに共通するのは、次のような姿勢だと言えるでしょう。
「今日における「宗教」の存在意義に関する、経験的で実証的な研究と説明の体系」
これらの詳しい内容については、これからこの講義のなかで詳しく紹介していきます。さまざまな人物の名前や本のタイトル、特殊な概念などが沢山でてきますので、しっかり覚えるようにしてください。
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