前回の講義では、フリードリッヒ・マックス・ミュラーが1870年に、ロンドンの王立学問所で行った講演を紹介しました。Science of Religion という水と油をくっつけるような刺激的な表現を使って、経験的で合理的な宗教研究の必要性を訴え、「一つの宗教しか知らない者は、宗教については何も分かっていない」といった効果的なレトリックを使って紹介された比較宗教学の手法は、産業革命の恩恵を受け、科学技術の発展に希望と信頼を寄せていたヴィクトリア朝時代のロンドンの人々に広く受け入れられていきます。
ミュラーが Introduction to the Science of Religion(邦題:『宗教学概論/序説』)において強調した、「新たな光」のもとで研究された「これまでとまったく異なる」研究―宗教の科学(経験的・実証的な宗教研究)や宗教の比較研究のこと―は、宗教の今日的な存在意義に関する新しい説明体系を創りだすことになります。
とくにミュラーが提唱した、諸宗教の比較(言語学)による「宗教」の本質の探究という手法は、啓蒙主義の時代を経て他者の信仰や人権に敏感になっていた人々に歓迎されました。人権の尊重や信教の自由は、今日の世界はほとんど常識のようになっていますが、150年前はまだ先進的で画期的な考え方でした。
とはいえ、ミュラーの発想は決して独創的と言えるようなものではなく、むしろタイムリーで時代のトレンドに即したアイデアでした。だからこそ、当時の人々に広く訴えることができたのです。
さらには、合理性・客観性・実証性が「正しさ」の基準となる世界では、宗教の存在意義についても合理的・客観的・実証的に説明する必要がある、というミュラーの提言もまた、すでに近代化された世界に投げ入れられ、進化論に代表されるような近代科学の知見によって聖書の神聖な権威が脅かされる状況にあった、ロンドンの人々の心を大きく動かすことになりました。
ミュラーは、その後オックスフォード大学において、彼のために設置された「比較文献学(comparative philology)」の教授職を得るとともに、比較宗教学の提唱者として名声を博するようになります。マックス・ミュラーの記念碑的著作は、早い時期に日本語に翻訳されますが、長い間比屋根安定の古い翻訳が定番になっていました。ようやく近年になって新しい翻訳が刊行されました。格段に読みやすくなっていますので、ぜひ手に取ってみてください。
ミュラーとギフォード・レクチャー
マックス・ミュラーの提唱した「宗教の科学」と「比較宗教研究」は、さまざまな方面に大きな影響を及ぼしていきます。その一つが、ミュラーの講演の後に始まったギフォード講義(Gifford Lectures)です。この講義は、イギリス・スコットランド地方の諸大学が合同で主宰している「自然神学」についての連続講座です。130年以上の歴史があり、現在も続いています。
哲学や文学に関心のあったスコットランドの法律家、アダム・ロード・ギフォード(1820-1887, Adam Lord Gifford)の遺志と莫大な寄付金によって、1885年に始まりました。マックス・ミュラーの記念碑的な講演は1870年ですから、15年後のことになります。
自然神学の研究を広く発展・流布させるために始まったこの講座では、開催当初から英語圏を中心に、超一流の神学者や哲学者、科学者による講義が行われてきました。科学技術の発達を反映して、近年では歴史学者や科学哲学者なども講座を担当しています。これまで講座を担当した人々の名前を確認すれば、誰でもこの講座の価値が分かります。まさに宗教と科学に関する人類の英知が結集された講座であると言うべきでしょう。
この授業でも後に紹介する、ウイリアム・ジェームズの『宗教的経験の諸相』という、宗教学の学説史に欠くことのできない重要な業績も、ギフォード講義の内容を出版したものです。
マックス・ミュラーは、開始早々の1888年から1892年にギフォード講座に招かれ、4期に渡って講義を担当します。大学の教員や一般人を含む受講者は、1,000人を超えていた言われています。この一連の講義のなかで、マックス・ミュラーは宗教の比較研究と経験的・実証的な宗教研究の大まかな道筋を示しました。
まず、Anthropological Religion と題する講座です。ここでは、後の授業との関連を考慮して「宗教人類学」と訳していますが、実際には「人類の存在から見た宗教」といった内容でした。「人間とは何か」という問いと「宗教とは何か」といった問いが結び付けられることで、なぜ宗教が人類の歴史とともに存在し、必要とされてきたのかが問われます。
人間は動物の一種であったとしても、言語をベースにした高度な文化や複雑な社会を発展させてきた存在でもあります。そして、人間の文化や社会と宗教は切り離すことはできません。こうして、人間の特徴的な営みの一つである宗教に、新たな目が向けられることになります。
また、Natural Religion, vol. 1・Natural Religion, vol. 2 (「自然宗教」①・②)と題する講座では、ギフォード講義のもっとも中心的な話題である「自然宗教」についての議論がなされます。
ここで「自然宗教」というのは、いわゆる自然崇拝のことではありません。ミュラーは、最初の王立学問所の講義の段階から、自然崇拝の迷信的な要素についてはかなり否定的でした。ここでの Natural はむしろ人間の本性のことであり、「人間の本質とは何か」という問いが、宗教を通して考察されます。
人間の本性と宗教が深く関わっているとすれば、人間であることと宗教的であることは切り離すことはできなくなります。通常の講義では、少し余談を交えて長く説明する所なのですが、これは別な機会にしましょう。
次の Physical Religion は、宗教の現実と訳しました。宗教的な信念はしばしば抽象的であり、神や天国や地獄などの存在は、私自身やその私が住んでいる町、通っている学校や職場のように具体的な存在ではありません。
しかし、同じ信仰を共有する人たちの組織(教団)や儀式などは具体的な行為です。礼拝の対象となる存在も多くの場合に実在します。こうした具体的な側面の調査や研究は、当然社会学や文化人類学などの成果と連動して研究することが可能です。
さらには、Theosophy or Psychological Religion(神智学と宗教心理学)という興味深い講義も行っています。ブラヴァツキーやオルコットなどの人々によって提唱され、現在のニューエイジやオカルト思想などに影響を及ぼした神智学は、130年前はかなり真面目な学問として市民権を得ていました。
なぜなら、いわゆる人間の「精神(こころ)」についての研究は、まだそれほど進んでいなかったからです。ジグムント・フロイトが「精神分析学入門」を刊行するのは、次の20世紀になってからのことです。ただ、人間心理の分析によって、なぜ私たちに宗教が必要なのか、と問いかける姿勢は重要です。
マックス・ミュラーと「宗教学」の展開
それでは、マックス・ミュラーの最初の講演やギフォード講義の内容を踏まえて、ミュラーが構想していた「宗教学」について、その後の展開と関連づけながら簡単に整理してみましょう。
まず、人間学としての宗教学は、社会学・人類学との接点へつながります。神智学と心理学は、宗教の今日的価値の経験的・実証的説明に新たな方向性を与えます。比較言語学を出発点とする、神話学や文化人類学として発展する宗教研究は、今日では宗教研究の主流を形成しています。
自然神学と自然宗教の概念に影響された、人間の知的営みと信仰の価値についての言及は、新しい哲学の動向と結びつきながら、「宗教学」という固有の学問の成立につながっていきました。また、進化論を前提にした全人類の宗教史と諸宗教の比較研究の展望は、諸宗教の具体的な対話への道を開くことになりました。
こうして、マックス・ミュラーが構想した、宗教の比較研究と経験的・実証的な宗教研究は、同時期に登場してくる心理学や社会学、民俗学や人類学、といった新しい学問や人間を探求の中心に据えた近代哲学の新たな動向などと連動して、その後150年近くに亘って多彩な展開をしていくことになります。
この際に前提とされているのは、マックス・ミュラーによって提起された、以下のような学問の前提です。
A.今日における「宗教」の存在意義に関する、経験的で実証的な研究と説明の体系。
「宗教の科学/宗教学とは、どのような学問なのか」という問いに対するこの答えは、その後の宗教学の営み全体に共有されていく、基本的な姿勢になります。
今日では、マックス・ミュラーが当時の比較文献学や言語学の知見を駆使して、宗教の比較研究や経験的・実証的研究として提起した理論や研究事例の多くは、もはや経験的・実証的研究としての価値を認められなくなりました。
研究の進展によって古い理論が忘れ去られていくことは、宗教学も経験科学の一つである以上は仕方のないことです。しかし、150年前に提起された「宗教の今日的価値の経験科学的研究という視座」の重要性は、今日になっても変わりません。なぜなら、今日における「宗教」の存在意義に関する、経験的で実証的な研究と説明の体系は、その当時以上に現在の私たちに必要とされているからです。
とくに宗教学科で学ぶ人たちは、世界の優れた知性たちが今日における宗教の存在意義について深く考えてきた思索の蓄積を学ぶことは重要でしょう。これから学んでいく宗教学の多彩な学説をもとに、自分自身で「なぜ、現在の私たちにとって宗教は必要なのか」という問いに、自分なりの答えを見いだしてください。
*言語学を中核とした「宗教の科学」の確立という、ミューラーのプロジェクト自体は瓦解したが、「宗教の今日的価値の経験科学的な研究」というミュラーが開いた研究の道は、現在の多様な宗教研究に踏襲されている。
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