宗教人類学と文化研究
マックス・ミュラーが提唱した、今日における「宗教」の存在意義に関する経験的・実証的研究は、同時代に登場した人文系の諸学問と連動するかたちで発展していきます。これまでに、心理学や社会学と結びついた研究成果を紹介しました。今回は宗教の人類学的研究と文化研究について紹介しましょう。
人文系の学問と結びついて展開してきた、経験的・実証的な宗教研究の諸分野のなかで、これまで最も多くの研究成果が残され、今日においても新たな研究が積極的に行われている分野は、人類学や民俗学、さらには文化論・文明論などと結びついた宗教研究です。
現在でも新しい研究成果が続々と発表されていますので、今回の講義では紹介する研究者の名前や著作のタイトル、基本的概念などの数がこれまでの講義よりも遥かに多くなっています。講義の内容を理解することはもちろん大切ですが、まずこれらの名称を覚えてください。
宗教人類学と文化研究に関連する宗教研究は多岐にわたっています。このため、簡単に分類するのは難しいのですが、敢えてここでは次の3分野に分けて、先行研究を紹介することにしましょう。
一般に人類学は、人類の生物学的な進化を考古学的な発掘調査などを駆使して研究する自然人類学(Biological Anthropology)と、人類の社会的・文化的側面を研究する文化人類学 (Cultural Anthropology)ないしは、社会的側面を強調する社会人類学 (Social Anthropology) に大別されます。
ここでは、文化人類学と社会人類学を総称して”文化人類学”とし、文化人類学的な宗教研究の古典的な業績を紹介します。
まず、初期の文化人類学の営みは、人類の文化の起源と進化の研究にしばしば宗教研究を結びつけました。神話や儀礼、習俗・習慣などの人類の文化的な営為は、多くの場合に宗教的な信仰と結びついています。
また、初期の人類学者たちは現存する「未開部族」の人々の生活習慣や社会のなかに、人類の文化の原初の姿が残されていると考えました。彼らはさまざまな古記録や多彩な地域への旅行記録、探検日誌などを頼りに人類の文化の起源と進化を明らかにしようとします。
また、人類学の営みが深化すると文献記録を頼りにするばかりではなく、実際に現存する「未開社会」の人々と生活をともにし、異なる文化や社会、生活習慣などを自ら体験し、より深い理解に到達しようとする研究者たちが登場してきます。
アームチェアからフィールドワークへ、としばしば言われるように、彼らは実際に研究対象である地域の人々と生活をともにし、未開社会の構造とその文化的・社会的行為との関係について、より深く理解しようとしました。
さらには、異文化や異質な社会のシステムの総合的な理解を深める研究は、文化や思想、社会体制などの違いを背景にして国と国の間の緊張が高まり、戦争と紛争の絶えなかった20世紀の世界において、極めて重要な学問となります。
文化人類学的な探求は、未開社会の人々の生活様式を明らかにするレベルから、日本やインドネシアといった国家単位や東洋と西洋といった文化圏単位において、宗教的象徴体系と文化・社会システムとの相関関係を問う学問へと発展してきました。こうした、文化研究としての宗教研究は、現在の宗教学の主流といえる研究分野になっています。
人類文化の起源と進化
まず、人類の文化の起源と進化を問う、初期の文化人類学の研究では、しばしば「文化人類学の父」と称される、エドワード・バーネット・タイラーの『原始文化』(Primitive Culture)が1871年に刊行されます。
本書のなかでタイラーは、文化について「文化あるいは文明とは、そのひろい民族誌学上の意味で理解されているところでは、社会の成員としての人間(man)によって獲得された知識、信条、芸術、法、道徳、慣習や、他のいろいろな能力や習性(habits)を含む複雑な総体である」と定義し、人類の文化の発展と起源を問うという、壮大な営みを行ないます。長い間、50年以上前に日本語訳された抄訳しかなかったのですが、ようやく完全な日本語訳が刊行されました。古典中の古典の一つですので、ぜひ手に取ってみてください。
タイラーは、人類の文化の発展段階を考察するための中心的な題材を宗教に求めて、アニミズム(animism)を宗教の基盤となる信仰であると考えます。アニミズムは、生物・無機物を問わないすべてのものに霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方のことです。霊魂というと、少しオカルト的な響きを感じますが、タイラーのアニミズムの語源は、ラテン語のアニマ(anima)であり、気息・霊魂・生命を意味する言葉です。
つまり、自然界のさまざまな存在に「生命」を感得する感性が「アニミズム」なのであって、これは文化や社会や生きる時代の違いに関わらず、どの人間にも共通する感性の一つなのではないでしょうか。
もし、この感性がなければ、自分以外の人や動物に「生命」があることを認めることはできないでしょう。さらには、人間や動物以外の植物や自然の事物、さらには道具や人形のような物にも「生命」と感じる習俗は、世界中のあらゆる文化伝統に普遍的に見られます。
文化の発展段階にともなって、素朴なアニミズムが一神教的な信仰に昇華していくとするタイラーの進化論的な見解は、文化の相対性を前提とする今日の文化人類学の方法とは相容れません。しかし、それでも「生命」を感得する感性を人間の本質の一つであるとして、この人間の本性と宗教の不可分の関係性を指摘したタイラーの宗教論は、現在でも重要性を失っていません。
タイラーの弟子のマレットは、師説に異論を唱えて「宗教の出発点」は、アニミズムよりも前の段階にある、漠然とした力/「マナ」の観念にあるとし、自らの説を「アニマティズム」と呼んで、タブー(禁忌)や呪術の研究を重視したプレアニミズム論を展開します。とはいえ、こうした動きもまた、タイラーの「アニミズム」論から派生したものです。
文化的行為としての呪術と儀礼
文化的行為としての呪術や儀礼の研究では、ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』(1890~1936)が有名です。タイラーの影響を受けたフレイザーは、その生涯を研究に捧げてヨーロッパ各地から世界中の古伝説や古典史料を渉猟し、大著である『金枝篇』を刊行します。
40年以上も増補・改訂をくり返し、フレイザーの死の直前まで執筆が続けられた、文字通りの大著を簡単に説明することは不可能ですが、日本語版の第1巻に治められている呪術の分析は、宗教学を学ぶ人にとっては必読の理論です。ぜひ、図書館や書店で手に取ってみて下さい。
フレイザーは、呪術は宗教ではなくて「未開の科学」であるとし、近代科学とは異なる「観念連合」にもとづいて事物の関係を説明する体系であると考えます。こうして、迷信と宗教との関係を進化論的な図式から解放しました。
宗教は、洗練された新しい呪術ではないのです。接触(感染)呪術と模倣(類感)呪術という類型を使って説明される、未開の科学としての呪術の論理の説明は、現代における「知の枠組み」を問い直すうえでも極めて興味深い内容になっています。ちなみに、模倣(類感)呪術は、類似のものは相互に影響し合う、という観念連合にもとづきます。例えば、ヒトガタの人形に釘や針を刺す行為などです。
その一方で、接触(感染)呪術は、一度関係を持ったものはその関係を持続する、という観念連合にもとづきます。たとえば、呪いをかける対象が触ったり、身に付けていたものや身体の一部(爪や毛髪)を入れた人形に危害を加える、といった行為です。こうした論理は、現在ではもう合理的ではありません。しかし、少なくともある時代のある地域では、合理的に説明をできる行為であった、とフレーザーは考えました。
キリスト教以前のヨーロッパの基層文明を探求した、フレイザーの壮大な研究誌は世界中の人々を魅了し、日本では柳田国男のような人々に大きな影響を及ぼして「民俗学」という学問を生みだします。
また、フレイザーとは違って、原始社会と文明社会の根本的な差異を強調した研究では、レヴィ・ブリュール『原始的心性』(1922)があります。異文化の理解が進んだ現在では、あまり取り入れられない考え方ですが、その一方で異文化の世界の異質性を重視する視座は、人間の世界構築の方法の多様性に目を向ける文化人類学の新しい展開に影響を及ぼすことになりました。➡E.E エヴァンズ=プリチャードなど
また、同時期の重要な業績の一つに、アルノルト・ファン・ヘネップの『通過儀礼』(1909)があります。ファン・ヘネップは、人の一生における誕生、成人、結婚、死亡などの各段階を通過する際に行なわれる儀礼を「通過儀礼」と定義し、これらはある社会的地位や役割が他のものに変ることを保障する意味をもつとします。
これらの儀礼は一般に共通の特徴を持っており、儀礼を受ける者は多くの場合に集団から一定期間隔離されて、生と死の葛藤が象徴的に表現される祭礼を行ない、その後新しい衣服や名前が与えらます。こうした「死と再生」を象徴する典型的な加入礼の一つが、現在ではアトラクションとなっているバンジー・ジャンプです。
社会構造と文化的行為の相関関係
タイラーやフレイザーによって確立された、未開社会の文化の諸研究に根本的な変革をもたらしたのは、ブロニスワフ・マリノフスキでした。マリノフスキは、文化の起源を問う従来の進化主義的な傾向の強い文化人類学と決別して、機能主義と呼ばれる異文化理解の新たなアプローチを生みだします。
第一次世界大戦のために南半球に取り残されたマリノフスキは、パプアニューギニアのトロブリアンド諸島の人々と長期間に亘って生活をともにし、異文化理解の研究に「フィールドワーク(参与観察)」と呼ばれる新たな手法を導入します。
「そこ」で起きている事柄の当事者にとっての意味は、「そこ」に生きる人々と生活をともにすることでしか理解できません。彼らともに生活するうちにマリノフスキは、トロブリアンド諸島の人々の儀礼や社会的慣習には、これまで外部の人々が外からの観察によって解釈していた意味とは、まったく異なる機能や役割が存在することを明らかにしました。
マリノフスキ以降の人類学は、アーム・チェアーの文献学者ではなく、異文化社会に身を置くフィールド・ワーカーが担うことになります。なかでも、同時代のラドクリフ=ブラウンは、デユルケームの影響を受けて社会的行為と社会的結合の有機的関係を明らかにしようとし、独自の社会構造論を長期にわたるフィールド・ワークを通して検証します。
マリノフスキの『西太平洋の遠洋航海者』と同年に刊行された『アンダマン島民』(1922)は、社会人類学の古典になりました。社会関係と社会構造の関連を分析するラドクリフ=ブラウンの手法は、さらに多くの人類学者たちに継承され、構造主義のような現代思想の新たな潮流に影響を及ぼしていきます。
これらの文化人類学者とは一線画しますが、タイラーやフレイザーの人類文化の起源を辿る研究を発展させた人に、ロバートソン・スミスがいます。スミスは、主著である『セム族の宗教』(1889)において、キリスト教の外套(ベール)の下にある民俗信仰レベルの宗教儀礼や習俗等の歴史的分析を行ないました。こうした手法は、日本の宗教研究者たちの仏教民俗や先祖祭祀の研究にも活かされています。
宗教的象徴体系と文化・社会システム
人類の文化と社会、宗教の起源を探求する文化人類学は、異文化や特定社会の基本構造を解明し、他者の行為の意味を解釈する文化研究として発展していきまます。こうしたなかで、宗教研究は宗教的象徴体系を通して、特定の文化・社会のシステムを解明する学問として、その研究範囲を広げていきました。
代表的な研究者では、『文化の解釈学』というタイトルの著書も著しているクリフォード・ギアーツが有名です。ギアーツは『ジャワの宗教(The Religion of Java)』(1960)において、トロブリアンド諸島のような狭い社会ではなく、インドネシアのように複雑で大きな社会においても宗教的な象徴体系をもとにした分析が可能であり、宗教文化研究にもとづく異文化理解が可能であることを示しました。
二度の世界大戦によって疲弊し、冷戦構造のもとで人類存亡の危機に直面していた20世紀後半の世界にとって、異なる文化や社会間の相互理解や国際交流の重要性は、かつてないほどに高まります。他者の理解に寄与する文化研究は、こののち宗教研究の主流になっていきました。
日本に関するものでは、ルース・ベネデイクトの『菊と刀』(1946)において展開された、「文化の型」の議論が有名です。ここでは、日本文化の特徴はキリスト教的な「罪の文化」に対比される「恥の文化」であるとされています。
また、ロバート・ベラーが『破られた契約(The Broken Covenant)』(1975)などで論じたアメリカの「市民宗教(Civil Religion)」の分析などでは、宗教研究をもとにした文明論や文化研究が、アメリカ社会のあり方に対する政治的な提言にまで昇華されました。
こうした文化研究としての宗教研究は、現在ではさらに多方面に広がっています。私自身も「日本の近代」をテーマにした、同様の研究に取り組む研究者の一人です。でも、自分の研究まで紹介する時間の余裕はありません。
とはいえ、今日の授業で紹介した業績は、すべて古典中の古典ですので、せめてタイトルや著者の名前くらいは覚えておいて、図書館や書店で見かけたときには、ぜひ手に取ってください。
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